忘れたくないし、忘れてはいけないし、こういうこと、結構身近にあること。
今は書きなぐるだけですが、落ち着いたらもっときちんと推敲して、同じ立場の人と語り合えたらなあ、と思います。
2日間、眠れなかった。
どうしても、どうしても眠れなくて、うとうとしたかと思えば、すぐに目が覚める。
こんな思いをしたのは、いつ以来だろう・・・。
いつもの金曜日、私は子供を空手に送って行き、その足で、コーヒー豆を買いに行く。
お勧めコーヒーを飲んで、少し話をして、そして、子供のお迎えに行く。
あと、数分で稽古が終わると言う時、私の携帯が鳴る。
「お母さんが倒れた」
と、突然おばあちゃんの声。
「・・・?・・・」
意味がわからない。
それから後は、突き動かされるように私は動く羽目になる。
いつも、とろとろ、のそのそ動いている私と同じ人間とは誰も思わないだろう。
母は、今夜、カラオケ仲間と、カラオケの先生も一緒に「花見会」と称して、近くの集会場で、お弁当をとって、食事会をしているはずだ。
母にとっては、楽しい趣味の延長で、気の置けない仲間と楽しく過ごすことは、ストレス解消にもボケ防止にも、何重にもプラスに作用している。
その母が、倒れる?一体どこで?なぜ?
おばあちゃんが自分の携帯で電話するのでは、要領を得ない、おばあちゃん自体が相当に混乱しているから・・・・。
そんな日に限って、弟も、仕事を終え、知人と食事に出ていて不在。
私の主人も、仕事関係の会合があった。
そんな週末だった・・・ごく普通の。
でも、母の仲間の中に、しゃきしゃきした人がいて、おばあちゃんを家から連れてきて、同時に、そこから車で30分も離れたところにいる私と弟はとても間に合わないと判断し、すぐさま救急車も手配してくれていた。
おばあちゃんが母の倒れた集会場に着くとすぐに救急車は来た。
救急隊員の方は、すぐに脳疾患と分かったらしく、とりあえずは、行きつけの病院に電話。医院長先生不在、続く昔心臓の手術をした医大にも連絡をしたが、生憎こちらにも脳外科医は不在。
そこで、県下で屈指の脳の疾患専門の救急指定のある病院へ搬送されることになった。
この判断は、後に、ものすごく適切だったことが分かるのだけれど、その時は私はまだ知る由もない。
私はまず、子供を自宅に連れて帰った。
お風呂を自分達だけで用意すること、おばあちゃんによくは分からないけれど、なにか病気になってしまったこと、すでに連絡したパパが、出来るだけ早く帰ってくるから、それまで2人で留守番をすること。そんなことを言い含めて、家を後にする。
車の中で逐一、携帯に何度も連絡が入る、こちらからもかける・・・そんなやり取りを聞いていた子供達は、これはただ事ではない・・・ということはなんとなく分かったらしく、鍵も閉めてくれ、すべてをちゃんとするからね、と約束してくれた。
戸惑ってはいるが、なぜか、冷静な自分がいる。
昔から、「しっかりしたお嬢さん」と言われていたのだが、それは実は、かなり私がにぶちんだからなのだ。
こういう、一大事が起こっても、かなり後で感じるタイプなので、その時、その場では冷静に見えるだけなのだ。
うれしいことも、悲しいことも、全部、「あとで」・・・。
損なのか、得なのか、よく分からないけれど、今は、そう言う鈍感な性格を持ったことに感謝しつつ、車を病院へ走らせる。