先日、寝違えたのがようやく治って、もう、大丈夫って位になった・・・。
でも、今朝から・・・耳が痛い。
寒いからかな~、気のせいかな~なんて思ってられたのも午前中だけ!
もう、お昼にはたまらない痛みに変わり、午後一番で病院に飛び込んだ。
これは見事な中耳炎!
最初にカメラを入れると、目の前のモニターに私の中耳が映る・・・。すでに、腫瘍は少し裂けかけているらしい・・・・。
そうなんだよね、この間、ちょっと鼻炎っぽかったのでハナをかみまくっていた・・・・。
そのころから耳が少し痛かったんだけど・・・・。
寝違えて血流が悪くなったことで決定的になっちゃったみたい・・・。
「まず腫れを引かせて・・・・・」と言いながら、先生が私の耳たぶを軽く、くいっと引っ張ったその時!
「ざぐばりっ」
えもいわれぬ皮膚の裂ける嫌な音が・・・・。
プールで耳に水が入ったとき、その耳を下にして頭を振ると、どろっと暖かな水が出てくる・・・。
まさに同じ感覚で、暖かなものが耳の中を通って外に出てきた・・・・。
でも、それはスプラッタ!!!!
血でした。
裂けちゃったんですね・・・・ぎりぎりまで腫れてたその腫瘍は。
ほんの小さな衝撃で・・・・。
あわててガーゼやコットンで耳を塞がれ、あごまで垂れて、もう少しで服につきそうだった血をアルコール綿で看護士さんがきれいにふき取ってくれた。
突然のことにどうしたらよいものか・・・・動かないのが正解だったみたいで・・・・。
大量の血と膿はすっかり出てしまった・・・。
ぴたりと鋭い痛みは止まり、鈍い痛痒さに変わった。
何度か綿やガーゼを取り替えて、あらかた血が止まったところで、消毒してもらい、後で出してもいいからね、と黄色の色のついた、乾いたガーゼを詰め込まれた。
なんかデジャブ・・・・そうだ、昔、小学生の頃、夜中にこうやって耳が痛くなって、両親が救急病院に運んでくれたっけ・・・・。
着いたとたんに、あの時も、ばりっと音がして、耳から血が吹き出た・・・・。
何が起こったか分かってない私を見て、親はすごくあわてていた・・・・。
だって、耳からかなりな出血をしてるんだものね・・・自分の子供が・・・・・そりゃびっくりしないほうがおかしい・・・。
家に帰ってから、着替えるために脱いだパジャマについた血の量を見て、初めて自分も驚いた。
それから急に恐くなって泣いたのを思い出した。
私がまだ小さな女の子だった頃、お父さんもお母さんもそうやって私を守ってくれていた。
とっても大切に思ってくれていたのだ。
「あの、私、抗生物質飲めないんです・・・後でおなかの調子が悪くなっちゃうので」(うそぴょーん!飲むのが嫌なだけ)
「でもねえ・・・結構大きな傷口だからねえ・・・飲まないと化膿しちゃうよ。一応出しておくから・・・」(出されたら飲まなきゃいけないじゃないか!嫌なんだってば!)
「でも、本当に後が大変なんで、痛み止めだけで・・・通院はしますので・・・」(どうせ、洗浄をするだけなんだろうけど)
「続けて来れる?」
「来ます」(抗生物質飲むよりはマシだものね・・・)
「じゃ、そうして」(モチロンモチロン!そうします!)
と、わがままな押しの一手で思うとおりの約束をして、病院と隣にある薬局を後にした。
駐車場に歩く私の左の耳が聞こえが悪くて、なんだかおかしい・・・。
まっすぐに歩けないので、ゆっくりと・・・。
調剤薬局でもらった痛み止めも結局使わずに、今回も植物達の力で収めるつもり・・・。
お医者様に内緒で、家の消毒済みコットンにテイーツリーとラベンダーの精油を垂らし、耳に入れると、鈍い痛みも引いていって・・・・あれ、ほんとにもう大丈夫。
原液を塗りつけて、コットンでふたをしておく。
もう、立派な大人になった私はこんなふうに、自分の勝手で病院に行ったり、交渉したり、セルフケアもする・・・。
でも、小さな女の子だった自分を久し振りに思い出して、少し胸が熱くなる。
あの時の親のように私は子供を愛してるかな?
愛せているかな?守れているかな?自信がないなあ・・・・。
私の子供が大人になった時、ちゃんと愛されてたと今の私みたいに思い出せるように?
私の父はもう、この世にいないけれど、ああ・・・ちゃんと「愛」を残してくれていた。
どちらかと言えば、似すぎていて、そりの合わない親子だったけれど、それでもちゃんと愛してもらっていました。
私もとっても愛してました。
年甲斐もなく、いい年をして、中耳炎になったけど、痛みと引き換えに、優しい時間を思い出しました。
あなたの血は、私に、そして子供に受け継がれています。
このところ、少し子供に厳しすぎたかな・・・・。
反省をしつつ、明日からの接し方を考えよう。
丁度12時。
おやすみなさい。