「足が傷だらけですよ」
と指摘される。
知っています。
崖を登り降りし、草むらとか歩いたからでしょう。
宿に着いたらよもぎの油を塗ります。
そのとき当たり前のことに気づく。
昔のスカートがくるぶしまでと長かったのは、
文化的な意味合いで足を隠すというよりも、
ケガをしないための実際的カバーだったかも、と。
草原を乙女がかけていく。
そのとき、スカートが短かったら、
たちまち乙女は傷だらけだ。
うーむ、実に絵にならない。
わかっていたらジーンズにしたのですが、
行ってみるまでわかりませんものね。
それに、あまりカジュアルにしていると、
食事や宿に着いたとき不都合が生じますし。
そう、ここは洋服文化の始まったところ。
服装は日本以上に無言のサインとして機能している。
どこに行っても半ズボンのアメリカ人は、
だから一目でわかってしまう。
妙な旅だ。
スーツを着ながら自然の中にいる。
次の瞬間、瀟洒な人工的環境にいる。
この百年余りの間にミシュランがガイドしたのは、
一般市民もこのギャップを楽しむ方法かもしれない。
彼らは見知らぬ土地で縁なき者もつなぐことのできる、
選りすぐりのアクセスポイントを保証した。
やがてその保証を得られるかどうかが、
ホテルやレストランにとって一大関心事となった。
宿に着き、
足をラベンダーで消毒し、よもぎの油を塗る。
傷すらも旅の記憶に陳列される安全な国。
開発とは、すっとばしていえば、
“肌見せ”のことかもしれない。
もっとも、膝小僧から下は安全と思い込めた時代は、
テロルの襲来とともに終わりを告げたけれど。
この先の未来、
どんなアクセスポイントなら、
すべての人の心に受け入れられるのだろうと考える。