5月7日(日)鳥立つほどに、豊穣の。

さくらんぼの成る桜の木に、
今年は赤い実がいっぱい食べ頃だと言われ、
ちょっと楽しみにしていた。

ところが、摘み取ろうと思った前日に、
鳥が全部食べたという。
朝見たら、一粒もなくなっていた。
あれほど鈴なりだったのに、と。

よくあることだ。

ボーゼンとしている桜の木の主をなぐさめる。
いいのです、人間の口に入らなくても、
鳥がおいしく食べたなら。

ある日のトウモロコシもそうだったという。
とてもおいしそうにできたので、
明日刈り取ろうと思ったその日、
カラスたちが騒いでいた。
目撃談によると、いっせいに食べ尽くしたらしい。
翌朝、ただの棒になったトウモロコシの茎が、
畑の風に揺れていましたとさ。

ひょっとして彼らは人間の「本気度」を、
とてもよく知っているのではないかと思う。
実が美味しく熟すギリギリまで待って、
人間がその気になったら前日に食べる。
これ、偶然であるはずがないもの。

それでも葉の陰を熱心に探していた主は、
10粒ほどのさくらんぼを見つけた。
上空から見える実は食べ尽くされたけど、
人間のように立ってのぞき込んで、
横や下からしか見えないところにある実は、
かろうじて残ったようだ。

ホラ、と手のひらに赤い美しい宝石。
押し抱いて一粒口に含む。
鳥たち、どんなに喜んだことでしょう。
何も世話していない自然の実りで、
こんなに甘いなんて。

ひとつ学んだ。

「本気だ」というときは。
鳥たちを見ることにしよう。
彼らが騒いで飛び立つくらい、
「本気」ならホント。

そしてもうひとつ。

鳥が立つほどのモノゴトなら、
良き実りが約束されているだろうということ。

うーむ、あなどれない。
良きにつけ悪しきにつけ、
鳥の動向には特に注目すべし。