とある医療会に入ったので、
受診説明を聞きにいく。
ここ数年、混雑気味の一般病院の状況に、
だんだん弱くなってきている気がしていて、
予約制で静か、あまりクライアント同士、
顔を合わせなくてすむのがいいと思った。
ある意味、ギリギリの選択。
病院に限らず、銭湯でもスポーツ施設でも、
昔はタコ部屋、得意だったんだけどなあ…。
子どもの頃のように、
安心して見知らぬ人々の中、
泳げないのはなぜだろう。
もう今は、子どもたちも安心ではないのか。
なにが私たちを分断していったのだろう。
流行の社会論や市場分析の本を読んでも、
今ひとつ、納得できない。
もちろん、ひとつの要因はわかっている。
さんざん言われているところの、経済格差。
それが新しい選別と囲い込みの、
ざるの目だということは。
しかし私たちは「囲い込」まれたいわけではないのだ。
自分では自由に変えられない外的条件によって、
誰かに選んでいただきたいわけではない。
(確かにそれで優越感を持つ人もいるだろうが、
そういう手法の分衆化を歓迎する心持ち自体、
ずいぶん時代遅れの感あり)
礼儀正しいが、温かく、取り繕うことなく、
人の目をまっすぐ見て話す人たち。
会を見学して、一番気に入ったのはそこだ。
それとつながりたい、という感覚だ。
仲間に入れてもらう感じ。
あるいは家族の一員になる感じ。
望んだところに、
自分でコネクトする。
何を望むかは、
人の自由だ。
これからの“囲い込み”は、
つながる先を自分で選ぶことが、
そして選んだ仲間とは志でつながっていることが、
これまでとは決定的に異なるかもしれない。
もはやそれは囲い込みではなく、
アソシエーション(連携)と呼ぼう。
今の時代、そのようなアソシエーションが、
あちらでもこちらでも発生している、としたら。
決して大規模ではないけれど、
相手の目を見て話のできる、ごく近い人々の輪が、
もっともっときめこまかく、たくさんできるといい。
ブクブク盛り上がるビールの泡みたいに。
そういうビールっておいしいし。
すでにそこにあるビールを、
よりよく変えるアプローチはできる。
無数の小さな泡宇宙が同じビールの味を変える。
レッツ、ブクブク!