4月19日(水)見えない川

ウソとホントの見分け方は、
複数のそれに関わる人間から、
その事象について一致した証言が取れるかどうかだという。

真実とは何か、どうやってそれを真実と知るか、
ということを考えていて、
第三者は真実そのものに触れない以上、
他人からのアウトプットを突き合わせるしかないのだ、
ということに気づく。

それならば、関わった人々は皆死んでしまった、
過去の歴史上の真実についてはどうなのだろう。

夜は、明日から中東を旅する人を囲んで、
壮行会という名のおでんパーティー。
アルジャジーラのニュースルーム見学に始まり、
モスクや美しい廟もたくさん見て回るという。

中東の治安から思想まで、
がんもどきやちくわぶをつつきながら、
話は踊る。ベリーダンスほどに。

イブン・スィーナーの時代、かつては医学も哲学も科学も、
世界の知性の中心はイスラーム文明にあった。
そこからヨーロッパに手渡された知恵は数知れず。

ふと思った。
歴史の中の真実は、それがどこであれ、
川底の石のように静かに横たわっており、
遠く離れた下流で、上流の水底を見透すことは、
残念だが不可能なのかもしれない。

ただひとつだけ、言えるとすれば、
真実の石のたくさん横たわる川を流れ下るならば、
その水はきっと豊かで清らかな流れを作るだろう。
下流の生き物をいくらでも元気に養いうるほどに。

精神的な環境という意味でも、
実際の物質循環という意味でも、
過去の、死んでしまった人間たちと、
現在の歴史を生きている人間たちは、
結果として見える現象、すなわち水を通じて、
つながっているのだと思った。

あちらには、ホントのところ、
どんな“水”が流れているか、
いっぱい見てきて教えてくださいねと、
旅立つ人にお願いする。

夜半より雨が降り出している。
この水は、かつて誰かの体の中を通過した水。
今、この者の中を流れる水。
とどまるところを知らず、天地人、ぐるぐる巡り、
次の命へと受け継がれていく。

雨の音を聞きながら、
今飲んでるカモミールティーが、
大河に見えてきました。