夜の高速道路で、
なにげにベンツを追い越した。
とたんにパアッと後ろからハイビームを浴びせられ、
オヤオヤと左に寄ると、
ベンツはわざわざ前に入ってきた。
制動の赤ランプが点灯する。
しょうがないから、私もブレーキを踏む。
またスピードがあがる。
私もアクセルを踏む。
再び赤ランプが点灯する。
どうやら説教されているらしい。
ベンツを追い越すなど不遜である。
オマエはメルセデス様の後を大人しく走りなさい。
うーん、まあ、いいけどね。
意地になっている車に付き合いながら、
ここにもヒエラルキーが存在するなあ、と、
どうでもいいことを考え始める。
以前、マセラティで似たようなことがあった。
そのときは制動する側とされる側、立場が逆だったけれど。
私は助手席だったので、そこまでしなくても、と、
運転者をなだめる役だった。
生意気だ。運転者はつぶやいた。
追い越した国産車にか、私にか。
それとも、そのどちらにもだったかもしれない。
でもそれオヤジの車じゃん。
自分の中身で勝負しようよ。
それはそう、でもそれも浅薄。
この世ではしばしば、たとえ借り物でも、
今この瞬間エラいものに負けがち、
ということも、のちのち学んで知っている。
まもなく私の降りるジャンクションがやってくる。
ベンツはきっと、生意気車が恐れをなして、
すごすご高速を降りたと思うだろう。
ちょっと悔しいけど。
外身と中身、たいした境目はなく、
合わせ技で勝負するしかない世界に生きている。
だからこそ、至高の美と下世話の日常、
どちらも「アリ」なわけで。
でも、車を降りて、着てるものを脱いで、
その肉も剥いで、骨も取って、
魂だけになったとき、
いや、その魂すら取り去ったとき、
たぶんあなたと私はヨモツヒラサカ、
同じ道で出合うだろう。
その意味も知りたい。
なにも自分のものでないとしたら、
最後に残るものはなに?
なにも残らないの?
この宇宙の終わりに、
ぱっくりと口を開けて待っているものは、なに?