4月15日(土)またまた、行く手にベンツ

夜の高速道路で、
なにげにベンツを追い越した。
とたんにパアッと後ろからハイビームを浴びせられ、
オヤオヤと左に寄ると、
ベンツはわざわざ前に入ってきた。

制動の赤ランプが点灯する。
しょうがないから、私もブレーキを踏む。
またスピードがあがる。
私もアクセルを踏む。
再び赤ランプが点灯する。

どうやら説教されているらしい。
ベンツを追い越すなど不遜である。
オマエはメルセデス様の後を大人しく走りなさい。

うーん、まあ、いいけどね。
意地になっている車に付き合いながら、
ここにもヒエラルキーが存在するなあ、と、
どうでもいいことを考え始める。

以前、マセラティで似たようなことがあった。
そのときは制動する側とされる側、立場が逆だったけれど。
私は助手席だったので、そこまでしなくても、と、
運転者をなだめる役だった。

生意気だ。運転者はつぶやいた。
追い越した国産車にか、私にか。
それとも、そのどちらにもだったかもしれない。

でもそれオヤジの車じゃん。
自分の中身で勝負しようよ。

それはそう、でもそれも浅薄。
この世ではしばしば、たとえ借り物でも、
今この瞬間エラいものに負けがち、
ということも、のちのち学んで知っている。

まもなく私の降りるジャンクションがやってくる。
ベンツはきっと、生意気車が恐れをなして、
すごすご高速を降りたと思うだろう。

ちょっと悔しいけど。

外身と中身、たいした境目はなく、
合わせ技で勝負するしかない世界に生きている。
だからこそ、至高の美と下世話の日常、
どちらも「アリ」なわけで。

でも、車を降りて、着てるものを脱いで、
その肉も剥いで、骨も取って、
魂だけになったとき、
いや、その魂すら取り去ったとき、
たぶんあなたと私はヨモツヒラサカ、
同じ道で出合うだろう。
その意味も知りたい。

なにも自分のものでないとしたら、
最後に残るものはなに?
なにも残らないの?

この宇宙の終わりに、
ぱっくりと口を開けて待っているものは、なに?