3月30日(木)緑人間

この活動を最初に始めた頃、
もうそれは10年近く前のことになるけれど、
なんとなく、自然と心に決めていたことがある。

ボランティアはボランタリー(自発的)に動く人。
それ以上でもそれ以下でもなく。
人に頼らず、人に感謝し、
物好きだなあと言われ、自分でもバカだなと呆れながら、
それでもやめずに動く者。

このことに始まる行動様式、
いわゆる企業活動の行動スタイルとずいぶん違うことに、
その後だんだんやればやるほど気がついた。

人に頼まないとできないことは、
とりあえず自分でやれる範囲に縮小する。
ショボいな、と思っても、それがホントの実力範囲。
そこからやるしかない。
日々是匍匐前進。

でも不思議にみじめではなかった。
なぜだろうと考えた。

たぶん、だけれど、
そしてこの言い方は、必ずしも全ての意味において、
正確というわけではないけれど、
誰かから何かを「奪う」ことをやめたからだと思う。
自分でできることを差し出すだけ。
それは、どんなにショボくても地を這う作業でも、
決して卑屈なものではないと感じた。

生き物にたとえていえば、
企業活動は従属栄養的、動物的、狩猟採集型、
ボランティア活動は独立栄養的、植物的、光合成型だ。
両者は生きる土台が違うのだ。

もし、バイオテクノロジーが進化して、
体の設定を選べるようになるなら、
皮膚細胞ひとつひとつの中に、
葉緑素とミトコンドリアの両方を持つ、
緑色のヒトになってみたい。

そしたら喜んでひなたぼっこしちゃうもんね。
毎日、お気に入りの場所で。
日焼け気にしないんだ。
でもって、1時間もするとおなかいっぱいになる。

そんなのあり得ない?
まあ、間違いなくそうかも。

でももしそのようであれば、と想像する。

もしそのようであれば、
この宇宙の秩序の中で、初めてヒトは、
太陽が終わりのときを迎えるまで、
永の命を保つことを許される、のかもしれないと夢想する。