3月27日(月)機織り考

たまっていた宅配便が、どどどと届く。
このサービスが世の中になかった時代を、もう想像できない。
何でも玄関先まで持ってきてくれるのだもの。

昔は東京駅や上野駅で、大きな風呂敷の荷物や、
頑丈にひもでしばった何箱もの荷物を、
これでもかというほど担いだおじさん、おばさんをよく見かけた。
誰かに渡したい大荷物は、長い距離を自分と一緒に運んで、
現実的に持参するしかなかった。もちろん、
郵便小包やチッキはそれなりに機能していたけれど。

苦労して贈ることの価値が目減りした分、
万人の「便利」は躍進した。
いまどき、プレゼントにちょっと特別感を持たせようと思ったら、
わざわざ別の部分で「苦労」を探してこなければならないくらいだ。
順番待ちの限定品、時間をかけた手作り、フルオーダーのこだわり品…。

素直に、この世にそれがあることを、
そしてそれが自分の手元に来たことを、
それだけでこぼれるほど感謝できる感覚は、
かえって遠くなっているのかもしれない、
などと考えながら段ボールを次々開けていく。

おっと、チェおばさんの今月のキムチは菜の花だ。
軽いサラダ感覚なので、じゃがいもをゆで、
さっそく一緒に和えてみる。
うーん、いくらでも食べられる!
野菜がおいしいってやっぱり幸せだなあ。

午後からは、あれこれ連絡に追われる。
世の中にはあちこちにプロフェッショナルがいて、
アレが足りないと思うとその道のプロに電話し、
コレが知りたいと思うとまたその道のプロにメールして、
即座に答えが返ってくることで、
こちらが何らかの織物にしたい複数の物事が、
縦糸横糸、美しく織られていく。

望めば何でも手に入る、
金で買えないものはない、と、うそぶいた人が、
そういえば、少し前にいたっけ。

たぶん、誰でもある程度そのことに気づいている。
でもきっと、その魔法を何のために使うか、
その一点なのだろう、意見の違いは。

おそらく、できあがった織物がなるべく皆を幸せにする美に満ちており、
真に善きものであるならば、その先には、望まなくても手に入る、
金もないのに“買えてしまう”、不思議な現象を目撃することになる。

金で買えるなら奇跡ではない。
そうではなく、いわばすべての要素がビタッと収まるべくして収まった、
見事な天地人の3D織物を、たくさん見てみたいものだと思う。

その中のたった一本の糸にでもなれれば、
とても幸せだろう。
ええと、3Dってどう織るのか知らないのですけれど。