3月6日(月)本日、啓蟄につき

虫が這い出てくる春になった。
本日は風も強く、残った冷気を吹き飛ばし、
あらゆるものがヨミカエル、
季節の節目を超えたと告げていた。

ヨミカエルとは、黄泉から帰ること。
あるいは、読みを替えること。

五十音で構成された日本語は、
非常にたくさんの同音異義語を持つので、
音を聞き、くり返して唱えているだけで、
ツルッと思考が横っ飛びする言語だ。
ある意味、丸ごとダジャレともいえる。

神代からの古典の素養に長けた、ある詩人は、
それをしてモノコトの素に近い音とおっしゃる。
言い換えると、あんまりすり切れてないというか、
原始的な響きのレベルから未分化なのかもしれない。
自由に転がして遊ぶには飽きない言葉だ。

さて、春になったので、
めのはの手配をしようと思う。
「めのは」とは、「め」の葉っぱのこと。
「め」は、わかめ(和布、若布)の「め」。
その響きは眼、芽、女(雌)と鳴り変わる。

そもそも、こんなふうに「め」のことに思いめぐらすのは、
アンドリュー・パーカー『眼の誕生』を読み始めたからだ。
若い古生物学者が、ひとつひとつ積み重ねた観察と実験、考察から、
生物種の大爆発に結びつく光スイッチの新説にたどり着いていく。

眼がこの世を読み替えているのだ。
いつ自分の眼が開いたか、過去を振り返って見ている。
最初の虫がこの世で見た光は、
本日、象徴的に這い出た虫の見た光と同じだろうか。
太陽を雲の向こうにチラリと見上げて、
五億年前の「め」でたき命のふし「め」を想う。