2月24日(金)鳥が見ている

小さな畑が手に入ることになった。
ただし、自分で荒れた土地を整え、
使える状態にもっていかなくてはならない。
しかしこんな幸運、そう落ちているものではない。

寒さゆるむ2月の終わりを開墾開始と定め、
物好きにも庭師を買って出た友人と手入れを始めた。
長斧、ノコギリ、シャベル、スコップ。
第一段階の整地に使うツールはいささか物騒だ。
打ち壊しの道具。

土は、思った以上にやわらかく、
切り刻むように掘り起こすと、
かつてそこにあったものの残骸が貌を顕す。
木の根や石、コンクリートの破片、ゴミ、切り株などを、
ひとつひとつ除いていく。

人間の頭の中の悲しみや憎しみにつながる記憶も、
こんなふうに額に汗すればdeleteできるものならいいのに。
そっちは脂質とタンパク質の地層に埋め込まれるばかりだ。
死ぬまで消せない。

ふと気づくと、高いところから鳥たちが見ている。
彼らは人間の所業をよく知っていて、じっと観察している。

「本日の作業はここまでで終わりにします」
午前中いっぱい体を動かして、十分によれよれだ。
喜んで現場監督、もとい、庭師の指示に従う。

新しい土がやわらかいでこぼこを作っている場所は、
しかしまだ畑にはなっていない。もう少し準備が必要。
畑になっても、最初に種をまくときは、
鳥に見られないようにそっとまかなくては。
(そんなことできるのかしら)

つい数日前の新聞に、
ヨーロッパの鳥インフルエンザウイルスが、
より人間に感染して増殖しやすい方向に変異を進めている、
という記事が載った。じわじわ追い込まれている感がある。

鳥に見すくめられずにすむなんてことあるのだろうか。
遠くで気配を感じながら、畑の用意をする。
あともう少し時間をくださいと、何かに祈っている。
我らを俯瞰する何者かに。