心が凍えそうになっているとき、
人の手になる温かな食べ物で、
思わず知らずほぐれていく何かを感じることがある。
痛い痛いと叫んでいるとき、
痛くてもコッチ行こうぜ!と呼びかけられて、
ふと我にかえり、傷をさすっているよりも、
光を目指して進む勇気を与えてもらうことがある。
闘っているとき、
黙ってそばで見ていて、
終わってもただそこにいてくれて、
そのことがめちゃくちゃしみることがある。
やさしい気持ちの現れは、
その時その状況で千変万化する。
厳しいほうがやさしいこともあるし、
やさしいほうがやさしいこともある。
中でもやさしく見えて冷たいこと、
やさしくても卑怯なことには用心、用心。
そういうやさしさでないやさしさが一等いい。
とりわけ。
弱さはやさしさにつながらない。
弱さはむしろ、残酷と無慈悲の仮面である。
もうじき、聖バレンタインデイ。
その人は命を賭して、
愛もて結ばれぬ運命の破壊を試みた。
火のようなやさしさを貫かれた方だ。
さて、チョコ欲しい(義理でいいから)と、
あちこちから言われているけれど、
明日あたり買いにいこうかな、どうしようかな。
義理じゃなく、本当にやさしくするので、
気はやさしくて力持ちな金太郎さんキャラに育ってね、
と、メッセージを付けよう。
同じ時代に生まれたことを、
とても感謝している。
ともに磨き合うことのできるこの世界を、
どんなにかありがたく思っている。
真摯に生きねば、
落ちこぼれまする。
そんなこと、あってはならじ!
と、義理ではなくがんばるのでありまする。