創作料理の試食会。
イカと大根の軽い鍋モノをいただく。
やはりこの組合せは王道だ。
いくらでも箸が進む。
途中、魚はなぜ魚くさいかという話になる。
イカやタコはくさくないのに。
皆に負けずにパクつきながら、
魚の体を構成しているタンパク質がその死と同時に分解を始め、
においの主な原因物質トリメチルアミンを作ることを話す。
それを中和するには酸が適当であること、
だから煮魚の隠し味に酢を一匙入れたり、
梅干しを入れて鰯を煮たりすることを話す。
(骨のカルシウムの吸収もよくなる)
その原理をひょいとつまみ上げ、
魚の調理中やあとかたづけにも応用するならば、
ビネガー水のスプレーが便利であることも申し添える。
こういうことに進んで耳を傾けるのは、
なぜか女性より男性が多い。
酢酸でいいかと即座に質問が返るので、
突き詰めればそうだが、
多少使いやすい工夫を奥様と相談して、
優雅に、かつ機能的にお試しあれと伝える。
携帯に残っていた香りつきビネガーの画像が役に立つ。
最近は何でも持ち歩く。
音も映像も文字データもどこかにあって、
がさごそするとアクセス可能な状態に置いておく。
言葉だけで説得できないとはつゆ思わないが、
早いのだ。とにかく。
ヴィジュアルイメージは「体験」の次に、
あるいは体験と同じくらい、
人を変える力がある。
むしろ言葉はもっと暗喩的に使い、
人が体験し得ないもの、
そしてまだこの世にないものを表す、
幻の織物が織られるのに捧げようと思う。
それこそが、
言葉に隠された恐るべき宝物だと、
かつてある人に聞いた。
詩人ではなく、
哲学者でもなく、
もの言わぬ霊長類を相手にする、
白髪の人類学者に。
鍋のシメは堅めにゆでた素麺を投入して、
サラサラといただく。
これが叫び出したくなるほど美味で、
完全にノックアウトされた。
最後は競争。
あっというまに食べ尽くされ、
自分は皆より一杯くらい少なかったかもと思うが(せこい)、
他人の胃袋に入った分さえ祝福したい気分だった。
この幸せな感覚、ずっと忘れない。