2月4日(土)花の色

早朝、空港に向かう。
本とパソコンと日焼け止めと。
最近はどこに行くにもこの組合せだ。
重いから、どれかひとつやめようと思っても、
どれもはずせなくて結局このパターンに戻る。

ホテルでは、
モジュラージャック探しが最初の仕事。
もっとも今は館内LAN完備が増え、
そうでなくても携帯の通信ボードを突っ込んでいるので、
以前ほど部屋に入ったあとの“儀式”は複雑でなくなった。

シグナルが明滅し、ネット接続を知らせる。
メールをチェックし、親しい人たちのブログを一周し、
サイトを覗いて一安心する。

どこにいても、何をしていても、
二重、三重の文脈の中で生きている。
そんなふうにしていると、
だんだん心落ち着きのない人間ができあがると、
心配くださる向きがないわけではないが、
案外私たちの精神は丈夫なもので、
その程度の多重性で壊れたりはしない。

むしろとても楽しんでいる、と思う。
少なくともそうしている仲間たちはみんな。

たとえ自分の関わる世界のどれかが、
ヤラレタ、しんどいな、と感じさせる状況に陥っても、
その瞬間、別のどこかの世界では、
全然違う文脈の何かが祝福されつつ進んでいて、
コレもありだけどソレもあり、とリアルに知っていることが、
目の前のショックを否応なく相対化する。

別の方向から見ると、
うれしいことも相対化しちゃうのだけれど。

そんなふうにして、
喜びも悲しみも薄れていくことを、
この世は空なのですよ、と説いた方は、
それでよい、とおっしゃるかもしれないけど、
それだと感情の大嵐にもまれる流行のドラマが、
面白く感じられなくなってしまいます、と、
ちょっとは妙な言いがかりをつけてみるのであった。

サラサラ、サラリ、沙羅双樹。
それでいいのですけど。