砂漠化

ワンバートル先生は、
ポロシャツにチロル帽をかぶって現れた。
昔、日本に国費で留学なさっていた。
今もとてもきれいな日本語で話してくださる。
長い年月、太陽と風に当たった顔でクシャッと微笑む。
その様子はいつか行ったチベットの人々を思い出させる。

フフホトの町を出発し、バスはぐんぐんと進む。
北京五輪の影響で人々の出入りが控えめになっているという。
いつもなら、夏のツアー客が大勢いるはずの観光スポットに、
ほとんど人影がない。

本来のモンゴルの風景は、
まだずっと平原の先に行ってから見られます、とバートル先生。
え? 今見える広大な畑は違うのですか、と私。

先生は子供に言って聞かせるようにゆっくりと答える。
これらはみな、漢人によって拓かれました。
私たちは牧民ですから土地を掘り返すことはしない。
モンゴル人みなが草原で馬を駆り、羊や牛を飼うことで、
そこが砂漠になることはこれまでなかったし、これからもないでしょう。
しかし畑は別です。薄い表土を損ね、不毛の土地にしてしまう。
砂漠化の進行は、今いわれるように牧畜のせいではなく、
それを止めても収まらないのです。

言葉のはしばしに悔しさがにじむ。
伝統のライフスタイルを失わないでほしい。
それは極度に乾燥し、冷涼な大草原でモンゴル民族が切り開いた、
本当にそこにふさわしいLOHAS(健康的で持続可能な生き方)
なのだから。

お話をうかがいながら、ふとひるがえり、
温暖で湿潤な瑞穂の国からやってきた旅人の私は、
田畑を持つことを環境破壊ではなく、持続可能な営為に変えた、
先人たちの知恵と、それを受け入れた島国の自然を思う。
でも同じことをここでやってもLOHASにはならないのだ。
人間になにができるかはその場所の自然が決める。

旅の始めにもうお一方、同行くださる方がいる。
レスラーみたいな体型だけど、詩人で俳人のリスチンチョクトウ氏。

岩と草の入り交じる山間にさしかかったとき、
ハイ、トイレ休憩です、とバスが止まった。

リスチンチョクトウ氏とは、
外の空気を吸いに出て、初めて会話を交わした。