北京からフフホトへ

北京の交通量は70%制限されていた。
三割流入を抑えているのではない。
七割の車に対して移動を規制しているのだ。

オリンピック直前、
中国政府の神経の尖りようを示すような、
何重にも重なったセキュリティチェックを抜け、
第三空港から街に出た。

天安門広場に通じる地下道を歩いている頃、
喉の痛みを感じるようになった。
息を吸うたび、ひりっと粘膜が刺激される。
メンバーの中で、もともとアレルギー気味の人たちは、
とっくにマスクを二枚重ねしている。
私も一枚、借りることにした。

天安門広場は西日にあぶられ、
ほこりっぽく、混雑していた。
門や紫禁城をバックに記念写真を撮り、
すぐに引き返す。喉がガラガラだ。
マスクから盛大にすでに吸着したほこりのにおいがする。

空港で夕食を取り、夜になり、
ようやく省都フフホト(呼和浩特)へのフライトが叶った。

1947年に成立した内蒙古自治区は、
1949年の中華人民共和国成立に先んずる。
13世紀にチンギス・ハーンが大帝国を打ち立ててより、
むしろモンゴル民族は分裂を繰り返し、
多くの時を他民族支配の中で過ごしてきた。
内蒙古・外蒙古(現在のモンゴル国)という表現は、
清朝の頃に始まったという。

フフホトに暮らすのは、
ほとんど漢人だと聞いた。
内蒙古全体で見ても人口2400万人の80%は漢民族。
他にわずかに満州族、回族などもいるから、
モンゴル族は20%いない。

五つ星のすばらしいホテルだった。
風呂の水はふんだんに注がれ、
インターネットも電話も不自由なく通じる。

まだ、近代西洋文明のシェルターの中にいる。