物にはたましいがあると思っている。
生き物とはちがうけれども、
生き物よりよほどたしかな、
不動の意思とでもいおうか。
鉄には鉄の意思。
炭素には炭素の、
ナトリウムにはナトリウムの。
それはいくども銀河の誕生と消滅に立ち会い、
かぞえきれない星の息吹を聞きながら、
あるとき、あるべき姿にととのった。
そして時が来るまで覚めもせず眠りもせず、
気が遠くなるほどただそこに在った。
それだからのちに生き物が現れて、
つついたりかじったり、
もっと人間のように砕いたり、
ゴウゴウと燃やしたりしても、
すこしも驚かず(もっとすごいのを経験してるからね)、
むしろことわりにまかせて化合したり分解したり、
新しい物へと進化することを楽しんだ。
そうして新しく生まれた物は、
新しいたましいを持った。
そのふるまいにふさわしく、
この世界に新たに存在する意味を。
もっともちかごろは、
はなばなしく生まれても、
バランスのよくない物、美しくない物も多いけど。
石けんのたましいとはなんだろう。
油脂とはちがうよ。
苛性ソーダともちがう。
元の物とはまったく異なる、
石けんだけの意思。
石けんが、
およそあいいれない水と油を、
やさしくひとつにとけあわせる奇跡を、
数千年前から私たちは目撃してきた。
そんなことができるなんて。ね。
でもそうやって、
物は人を変えていく。
触れることで、使うことで、
石けんのたましいは人間に入りこみ、
君にもできるはずだよ、という。
あいいれない二つのものを、
両手に抱きしめ浄化せよ。
そうして人が本当に、
たとえば石けんのようになれたとき、
物と生き物はともに笑うのかもしれない。
くすぐったそうに。
くつくつ。
ぷくぷく。
ゆかいゆかい。
ほんとうだよ。