2007年8月17日(金)どんと鳴った花火だきれいだな

とれたてのとうもろこし。
ゆでたての熱々を手にとる。
噛むとプキッと音がして、
あまく豊かな味わいが、
一気に口に広がる。
なによりの贅沢。

三方を海に囲まれた、
碧い半島の畑から、
この夏たぶん最後になるだろう、
花火を見た。
hanabi
ちょっとブレてます。ごめんなさい(^^;
今年はずいぶんたくさん鑑賞したなあ…花火。

枝豆も、米なすも、かぼちゃも、
みんなみんなとれたてだった。
地鶏も魚もおいしく焼けていたけれど、
ゆでてよし、焼いてよし、
できあがりを皿に盛っておくと、
知らぬ間に手がのびて、
どんどん先になくなっていったのは、
野菜たちじゃなかったかしら。

やっぱり季節は、
いちばんのご馳走。
おやおや、手にしたビールも、
ふだんなかなか一缶飲みきれないのに、
ゴキゲンで空いている。

ほろ酔いで、
でも一度聞いてみたかったことを、
パーティーの主催者に尋ねる。
気取らず、サバサバした人。
第三世界と紛争地域の支援に、
生涯をかける人。

ボランティアってなんだと思われますか。
災害援助や、環境活動、地域振興など、
いろいろな形がありますけど、
それらを善意とか社会貢献とか、
もっといえば正義とか、
そういう言葉でひとくくりにするのは、
どうもフィットしないというか、
ほんとのツボじゃない、という気がします。

テラスのリクライニングチェアに腰かけて、
海を眺めながらその人は言った。

結局、他人の人生と本気で関わろうとするかどうか、
ということではないでしょうか。

どんなボランティアも?
横顔に訊ねながら、
ずしりとこたえた。

そう、思い当たる。
確かにそれは巻き込む。
自分を変え、人を変える。

報酬がないとわかっているのに、
あえて行動する動物というのは、
自然の法則に反している、と、
ある生物学者氏に言われたことがある。
直接的にはその通りだろう。

しかし、ないわけがない。
おそらくボランティアの報酬とは、
おそるべきものなのだ。
エソロジー的な視点では見えなくとも。

行動が外の物質面に影響しなければ、
そのまま内なる精神への衝撃となるだろう。

それはやわらかい、生きている何かを、
ぶるぶると揺さぶり、質的変化を促す。

そういう意味では、
わかりやすい対価とは、
目に見えているぶん、
退化に近いのかもしれない。

などと考えながら、
間近な花火の音を腹に感じている。

どん!
どんどん!