1日に2回、スピーチの機会があった。
ひとつめはお堅い場所。
ふたつめはリラックスした場所。
ひとつめは、決められた時間内に話し終わらず、
タイムキープを担当する方の表情が、
焦りから怒りに変わっていくのを、
しゃべりながら見ていた。
原稿を一言一句違えず読む方法はとらなかった。
がんじがらめにすると、言葉が死んでしまう気がした。
考えてつむげば、
不思議に思ったこと、感動したことが、
心から言葉の端切れや抑揚に溶け込み、こぼれていく。
それは自然かもしれないけれど、別の面から見れば、
余計なノイズ、不純物でもある。
ふたつめのスピーチを展開しながら思った。
ずいぶんといい加減な場所に生かされてきたものだ、と。
“不純”が許されない場所ではどのように身を処すか、
これからは考えないとなあ。
カタいのもやわらかいのも大事。
どちらがいい、という話ではなく、
どちらの花も咲き匂う地面でありたい。