2007年7月6日(土)かすかな感覚があります

採血のときは、じっと針を見ている。
腕からチューブに流れ出る静脈血を、目で追う。
ところが今朝は、
うまく1回で刺さらなかった。
刺し直しも見ていたら、
看護師さんがかすかに「あ」と声をあげた。
そして針の下にうすいコットンをあてがい、
血管壁との角度を調節した。

見えなくてもわかるんですか。
終わったあとで質問する。
なにがですか、とは訊かず、
針を持つ人は、初めてほぐれてうなずいた。

最初は全くわからなかったそうだ。
けれども、経験を重ねていくと、
針先が皮膚に入り、血管壁に侵入する、
かすかな感覚をとらえられるようになる。

昼前にはもう片方の腕の静脈から、
鎮静剤が体に入っていった。
今度は自分でわかる。
感じたこともない腕の奥にある血管をつたい、
かすかな痛みが肩まで登る。
しかしそこでもう意識はとぎれとぎれになり、
次に体のどこかで発生する、
小さな感覚をとらえられるようになるのは、
数時間後のこととなる。

検査は全部終了し、
気分転換に髪を切ろうと、
土曜日の銀座に出かけた。

蒸し暑い梅雨の空気が体を包む。
皮膚がちくちくし、全身を刺激している。
いつもは「声」をあげない、否、あげていることに気づかない、
体のいろんなパーツの「声」に、
とても敏感になる。

髪の毛も、切られるとき、
悲鳴をあげるだろうか。
何ミクロンの悲鳴を?

幾重にも堆積した小さな悲鳴の上に、
鈍い全体生命が座している。
そう思うと、かなしいくらいに、
命のことが愛おしくなる。