今日は特別な日です。
心が一杯になっても、悲しさややるせなさがあふれ出しても、考えよう、受け止めよう。
いい年をして、エルメスのお茶碗でご飯を食べてると、アホなことをステイタスと思いこみ、下らない自慢話を話し続ける、いかにも俗物な人がいる。お金と、肩書きと、それで全てを量る。
けれど、あの考えられない状況でも、もの静かに過ごし、子供やお年寄りを優先し、略奪も混乱もほとんどなく、精一杯、冷静に振る舞ったあの人たちをこそ、最高の日本人と、私は誇りたいと思います。
同じ日本人として、私も、あらゆるシーンで、誇り高く、美しい行動を行わなくてはならない、と、思うのです。
あの人たちに恥じないように。
お金では決して買えない、品格という素晴らしいものに関して、家族で、話をしました。直接、あの人たちを助ける事とは、少し違うけれど、生活を考えるとき、大切なことを忘れない人でいようと、そんな結論に至りました。
身を飾り立てる人であるよりも、虚勢を張ったり、下らない自慢話を続ける悲しい品格のない人であるよりも、誰かのために動ける人であるように、世の中に役立てる人間であるように、心の折り目の正しい人でいましょうと、話をしました。
一人一人はとても心弱いので、家族で小さな決めごとを作ったのです。
何かの折りに、そんな気持ちを忘れずに、ものを考えられたら、きっと間違わないと思うのです。
人が死んだあと、自分を飾り立てたものはすべてごみになりますが、誰かのための行動や生き方は心に宝物として大切にしまわれます。高い志や、理想は、引き継がれてさえいくことが往々にしてあります。
私は、あの時の、あの人たちの姿を、死ぬまで忘れることはないでしょう。
そんな風に、忘れることができない人が、世界中にたくさんいることは、紛れもない事実です。
あの姿を見た人は、最初はただショックを受けたり、感嘆や賛辞の言葉を発するだけかもしれないけれど、いずれ、心に響いたそれらは、心の中の何かを変えて行きます。
誇り高く、再興をしていける人たちの姿を見せてもらった私は、小さな事でも、できる何かを見つけた時、素直に動ける自分であるように、心をいつもお掃除して、見通しを良くしていたいと思います。
3月11日が、悲しみだけを思い出す日でないように、来年はもっともっと何か、違った日であって欲しいと願います。