保育園の保母さんたちと勉強会。
身近にある、食べることのできるような安全な材料で、
お手ふきや虫よけ、リフレッシュナーなど、
いろんな日常の備品が作れることを伝える。
なかでも、「清潔にする」ということが、
必ずしも「無菌にする」ということと一致しないという話は、
少し意外だったか、たくさんメモを取られていた。
重曹をベースにするという意味で、
地球と私たちは同じという見方がある。
同様に、大勢の生き物がその上で共生するという意味でも、
地球と私たちは同じという見方ができる。
生まれてきた子どもは新しい惑星のようなものだ。
周りの大人という「古い惑星」にだっこされ、キスされ、
お風呂に入り、口から食べ物をもらいして、
そこから移住してくる小さな住人たちを、
知らないうちに受け入れる。
核家族よりは大家族の中で育ち、
たくさんの“移民”を受け入れること、
そしてどろんこになりながら、動物と遊びながら、
あるいは友だちととっくみあいをしながら、
いつのまにか、いろんなエイリアンが、
その新しい惑星の上で交流することが、
豊かな生態系に恵まれた丈夫な星を作る。
星の住人は多いほうがよい。
多様であるのがよい。
仲良く棲み分けるのがよい。
無菌を目指すというのは、
誰もいない星にするということだ。
そうすれば確かに、その星には何も起こらないけれど、
なんだかさびしい風景が広がる。岩と土くれだけの。
それを清潔と呼ぶだろうか。
それは星の命を守る方向に働くだろうか。
おぼろに月の光の差す中、
駅を目指して夜の商店街を歩く。
考えてみれば、
この人混みもざわめきも、
なんと福々しいことだろう。
Twinkle twinkle little star,
how I wonder what you are.
私たちひとつひとつが星。
それが乗るのも星。
それは入れ子構造をしている。