沈黙と金・・・(2010.11.19)

欲しいものが何かあるか?と最近問われたことがある。
私は、そういう話が苦手なので、大体考える振りをして「時間」と、相手が黙るような、漠然とした答えをする。
まんざら、嘘でもないので、仮にそこから話が続いても構わないし、興味がなければ、話はそこで終わる。

哲学的な話を延々友人としながら、話に終わりも、結論もないことに気がつく。
ただ、自分の考えや、相手の考えが、際立って、さらに輪郭がはっきりしてくる。
会話というものは、そんなものなのだと思う。
男の人とする会話は、私にとっては、ディベート的なものになることが多い。
私と話すと、スポーツでもした気分になるよ、という人がいる。
それは、きっと、私が女らしくないということなんだ、と心で少し寂しくなる。
攻撃的だったり、鋭角的だったり、私の話には柔らかさというものがない。
仕事での場合、それがプラスに働くこともあるけれど、プライベートではほとんどマイナスに働く。
「女性らしさ」というものを最近考えるけれど、なんだかよく分からない。
私は「女」という生き物の皮をかぶった「男性的な」生き物のようで、どうにも、扱いにくい「人間」という生き物のようだ。
「雄弁は銀、沈黙は金」
私のような人がたどり着いた、ある意味極限の心理なのかもしれない。
一度、黙ってみるのも悪くはないね。
静かな人になってみよう。
うーん・・・・・でも、やっぱり無理だな・・・・私は銀でいいや!