虫の知らせ・・・(2010.5.23)

まさか、今月、二度も喪服を着ることになるとは思いも寄らなかった・・・

どうしてか・・・いつでもいいはずなのに、メールを送った。
そんなに大切な内容でもないし、本当に、なぜなのかわからない・・・
すると、その人のお母様が、本当に、そのメールのちょっと前に亡くなったことが分かった。
とても、お世話になった人だった。
お腹に上の子供が入ってるとき、近所のよしみで、何くれと世話を焼いてくれて、子供が生まれてからも、あれやこれや・・・
引っ越してもお付き合いは続いて・・・・入園の時や入学の時の手さげ鞄や、空手の道着を入れるサックも、全部その人の手作りで、子供達は随分と、「お母さんは、手芸が上手なのね」と、ホメられた。
パッチワークの先生だったから、それはね、プロの腕なので・・・上手です!
今も、その手さげと、弁当袋と水筒袋は現役で、子供達のお弁当やお茶を運ぶのに毎日使われている。
代わりと言っては何だけど・・・お料理もとても上手だったから、自宅で取れた野菜や、実家からもらう(とても食べきれないので)たくさんのお野菜を、時々届けていた。
綺麗な人だったから、死に顔もやはり美しかった。
私は、涙が出なかった。
いつもそうだ。
その場で泣いたりしない・・・あとで、家に戻ってから、ふと、その人のことを思い出したときに涙が出るタイプなのだ・・・
お通夜も、お葬式も・・・・穏やかな顔で旅立ったその人を見送るセレモニーは、滞りなく終わった。
残された人は、ただ見送るだけしかできない。
子供の明日の、お弁当の用意をしようと、夜にキッチンで手に掴んだのは、まさに、その弁当袋だった・・・
優しさに溢れた、お弁当箱きっちりサイズの、その袋を作ってくれた時の笑顔を思い出して、ようやく涙がこみ上げてきた。
それまで、どこか信じてなかったんだ。
家族が心配するから、声をあげて泣くわけには行かないけど・・・
静かに、涙を拭き取る作業がしばらく続いた。
たくさんの思い出と、思い出の品が、我が家にはあちこちに溢れている。
玄関の干支の置物も、毎年もらって、一通り・・・・
毎年、飾り続けるたびに、その人を思い出すのだろう。
最初の数年は辛いかもしれないけど、やがて、穏やかな気持ちで懐かしむ日が必ず来る。
母親的な役割を、女性は求めると、心理学で聞いた・・・
私や私の母に欠けていた、細やかな部分を、私はその人に見て、甘えていたのだと思う。
女性的で、主婦の鏡のような素晴らしい人だった・・・
穏やかな顔にふさわしい、穏やかな死に際だったと、家族の人たちから聞いた。
悲しいけれど、良かった、と思う。
家族の人たちの悲しい心が、穏やかで懐かしい気持ちに変わるのが、少しでも早くなることを、遠くから祈ることしかできませんが、どうか、そうあって下さい。
花の咲く美しい季節に逝った人は、きっと皆が笑って過ごしてくれることを望んでいるはずなのだから・・・