どこかの駅で事故とやらで、
ずいぶん長く電車に閉じこめられる。
まもなく動く見通しです、とアナウンスが流れ続け、
それなら待っていよう、とこちらは座り続け、
最後にはそば屋の出前と同じだ、と観念した。
こういうとき、だれもなにもあとで抗議しないのね、と、
夜に、チーズフォンデュを皆でつつきながら話す。
日本人、おとなしいから、と誰かがいい、
そこがいいところなんだよ、とまた誰かがいう。
異様に(かどうかは別としても。)公共心、
あるいは公衆道徳というものが発達している。
地震のときだってむしろ助け合い精神を発揮して、
略奪のりの字も起きないのがこの国。
もとより景色も人も優しく美しい国なんだよ。
今はそうかもしれない。
あうんの呼吸で待ってくださいと言い続け、
よろしい、待っていましょう、と座り続ける人々の国。
言葉の向こうのメッセージを正しく読み取ることは、
言葉をそのまま受け止めるよりも真心がいる。
このデリケートな響き合い、
どこまで保ってゆけるだろうか。
いじめや責任転嫁、無関心のTVニュースを聞きながら、
今日の乗客たちの静かな顔を思い出す。