節目(2010.3.21)

アップし忘れていたこと・・・・

春分の日、義父の法要が行われた。
もう、この世からいなくなって1年が過ぎようとしている。
桜が咲き始めで止まり、ついでにマリンライナーも止まった寒さと強風の中、何が何でも義父の法要は決行され、一日が過ぎようとしている。
こういうものは、じゃあ来週にしようか・・・というような鷹揚さがないので、困ったもんだ。
黄砂も混じり、何だかざらざらとした感じがとても気持ち悪い。
ようやく終わり、予約してあったある料亭へ、親類達と向かう・・・

これに、次々と、魚の煮つけや、茶碗蒸し、押し寿司に瀬戸の浜の盛り合わせ、魚介のお吸い物・・・・などなど・・・素晴らしく薄味で、我が家の好みにピッタリのお料理が続いて、正直驚いた。
我が家は魚貝派で、お肉は実はそんなにたくさん食べられないけど、お魚ならいくらでも・・・・って位、食べることができる。
なので、しっかりといただきました。
残念なことに、車の運転をして帰らなくてはならないので、お酒は飲めませんでしたが、料理が素晴らしく美味しかったので、どうでもいいや!って感じでした。
おじいちゃんは、そんな私達を見ながら、笑ってたのか怒ってたのか・・・?私は、自分が死んだ後、あまり法要なぞされたくないなあ・・・と、思っています。
生きている今、しっかりと子供達と触れ合ったり、やるべきことをして、塵となりたいと思っています。
法要は、美しい習慣なのかもしれませんが、いかんせん、残された人たちには荷が重いこともあるんじゃないかと思います。私自身が、父方のおじいちゃんは覚えていますが、年の離れた弟が生まれる頃には、もう亡くなっていて、弟は私の知っているおじいちゃんを知りません。
知らない人を敬ったり、祀ったりってのは、実際難しいんじゃないかと思うのです。
私は、知っている人に弔ってもらったら、あとはどうでもいいなあ、と考えています。
死んだのち、人は仏になるというけど・・・・・信じている人には怒られてしまうかもしれないけど・・・・私はそんなことはないんじゃないかと思っています。
何か、宇宙(この地球)のエネルギーの一部には戻ると思うけど、あまり、精神論的なものは信じていなかったりします。
重曹がサラサラと手からこぼれ、水に溶け、海に戻り、また精製されて、手元にやってくるように・・・・
私も死んで焼かれ、分子に戻り、地球の一部となって、微生物に食べられ、もっと大きな生物のエサとなり、その生物の体を作り、時と場合によっては、卵子や精子の細胞となり、またこの世に産まれ出てくるかもしれない・・・・
そんな育みをこそ、私は最近望んでいる。