行けない年もあったけど、今年はたまたま夫婦揃って参加が可能となった。
息子達の学校の、発表会・・・のようなもの・・・
お茶を点ててくれて、お菓子を頂く。
お昼には、保護者の方達の手作りのカレーも出るので、お昼の心配もなし!
去年は役員だったので、このカレー作りは義務だったけど、今年は役員ではないけれど・・・・でも、お手伝いをさせてもらいました。
だって、手は多いほうがいいし、去年、やっぱり役員ではない方達が、普通に手伝ってくれたのは、とてもありがたかったから・・・
劇や、合唱、ダンスや英語とか古典の暗唱など、普段学校でやっている活動の一部を見せてくれる機会。
上の息子も、中学最後の弥生茶会となってしまったけど、後輩達がちゃんとやっているので、きっと安心したと思う!
ダンス部の下の息子は、数人のダンス部の部員達と軽快にステップを踏み、観客に見せつける・・・・いつの間にそんなことを覚えたやら・・・・
お揃いの衣装や、小物を上手に操り、この4月から入学する、保護者や生徒達も驚かす。
進学校なのに、こんなことやってるんだ、という驚きもあるのだろうと思う。
昨年は、上の息子がてんてこ舞いで、司会やら、指揮やら、走り回っていた・・・
今年は、居合いの説明係で、落ち着いて、一生懸命やっている姿がほほえましかった・・・親やってて良かった、と思うのはこんな時。
自分たちの知らないところで、知らない人たちと育んだ時間が、形になって現われて、とても成長を感じた時。
彼らは、彼らの時間を確実に歩んで、しっかりと前を向いてるな、と感じた時。
あの空気の中で、彼らはとても平和で幸せそうに生きているのを見ました。
(ま、でも勉強はとても厳しい学校なのですけどね!それも含めて・・・)
小学校の時は、ま逆だったから・・・
親やってて辛いときってのは、その時に、じゅうにぶんに味わった。
それは、どんなにか辛くて、痛いことがあっても、決して替わってあげる事もできずに、ただ見つめるしかできないとき。
生きていきたくない、と子供が叫ぶのを、ただ見つめるしかない時だ・・・
あまりに早く、我が家の子供達は、それを味わってしまったな、と今更ながら思う。
人生の、ほんの最初で受けた傷は、深くて、深くて・・・・自分でしゃんと歩き出せるまでに何年もかかったけど・・・・・子供も親も・・・
これからは、幸せな方向を向いて、しっかり歩いていけたらな、と思うし、願わずにはいられない。
一番不幸なことは、不幸に浸っていることだ、と昔何かの本で読んだか、人に聞いたか・・・?
どんな不幸な時でも、未来はあるし、解決はしなくても、終りが来るときは必ず来るという事を、血まみれになりながら、我が家は習得した。
今だって、そりゃ、何もかも順調、なんてことはない。それはどの家庭だってきっと同じ・・・大なり小なり悩みや困ったことはつきものだ。
でも、解決したかったら、傷だらけになっても動かなきゃいけないし、素っ頓狂でも、とにかく始めなくては、終わりはしない。
中には、生ぬるくて、ハッキリしないままで世の中に感謝もないけど、自分も何も働きかけない人もいる・・・。
面倒くさいと、自分だけの世界を大切にし、人と関わらない人もいる。ずるずると、だらだらと、ただ時間が過ぎるのを待つだけの人生をこよなく愛している人を知っている。傷つきはしないだろうけど、ワクワクしたり、ドキドキしたり・・・・そんなことに興味がなく、思い出や人生がワントーンで、カラーバリエーションがない生き方をしている人・・・。
既に、死んだ時間を生きているなんて、よくぞ数ある中から、もったいない生き方を選ぶもんだよね。
いつも周囲が気に入らなくて、あげくに自分で選んだ家さえ、壁紙の色がどーだとかこーだとか・・・・ずっと文句を言い続けて、とうとう友人を次々になくした人もいる。
自分以外愛せない悲しい人が一人でもいると、周囲の人たちはかなりテンションが下がります。
死する生き方は、まったく魅力がないのです。
また、他人に興味を持たない人、と言うのは気がつかずに他人を傷付けています。でも、そういう人は、自分のプライドには敏感でも、他人が傷つくなんて、思ってもいなかったりしますから、ある意味、想像力が欠けている人です。
試しにそんな人と話をすると、決まって持ち物がブランド物であるかどうかとか、ファッションがどうとかこうとか・・・・と、自分を外から飾るものの値段で、自分を偉く見せようとします。教養や趣味がない人に多い傾向です・・・何でもお金で換算しちゃうのね。
いわゆる、秀吉タイプの人です・・・・。(金の茶室は確かにいかがなものかと思うよね・・・・^_^;)教養は、お金で買えないものです。心から欲するところに現われ、追求するものにだけ、その本質を与えてくれます。そして、それはやがて、心に溶け、その人を強くしたり、個性的に鍛えたりします。
我が家の子供は、過去の傷を糧に、将来を考え始めているってことがここ数日の会話で分かったのです。
あれほど痛い思いをした君なら、どんな仕事を選ぼうとも、きっと誰かの助けになるに違いない、と母は思うので、その方向に反対する道理なぞありません。
そして、他人からあれほどの傷を負ったのに、人の役に立つ仕事に就きたい、と言った君を、母は、万感の思いで見つめるしか、できません。
きっと、今ある君の周りの人たちのおかげなんでしょうね、そういう気持ちになれたのは・・・・。
マイナスをプラスに変えるのは、あまりに大変なことだと私は知っています。
人の心の中で、恨みや憎しみ、といったマイナスな思いは、なかなか消えてくれないし、気にならなくなった・・・と思っていても、ふいに生傷が剥がれたような瞬間があります。苦労して忘れようと努力したのに、あっという間にまたその思いにとらわれてしまう・・・そんな経験が多々あります。
未来について・・・そのやりとりを見ていた、君の弟は、また、それを一つの経験として、自分の未来を考えていくんじゃないかと思います。
輝く未来を話せる人が一人傍にいると、周囲も幸せにします。
そんな2人を見ながら、母もこの年でも、何か成長しなくては、と自然に思いました。
ありがとう、息子達!