言って悪いこと(2010.2.7)

良いか悪いかを判断する時、その人のバックグラウンドを基準の一つに私は数える。
例えば「今はとっても真面目です、若い頃は親の手に余るほどにやんちゃだったですけど・・・」
という人がいれば、きっと今も実はやんちゃなんだろうと思う。
ただ、仕事なり、趣味なり、エネルギーのはけ口が見つかったから、家族や仲間に迷惑じゃなくなっただけなんだろう。
それを奪いさえしなければ、そのひとは、世の中で、普通の評価でいられるんだと思うのだ。
でも、私生活のめちゃくちゃな人は、その時はいいけれど、おかしなサイクルで回り始めた時に、軌道修正ができない場合が多い。
最初はテンションが高く、自分でなければやれはしないのだ、と言わんばかりの仕事がバリバリできていた人でも、神経が磨り減れば、カンが悪くなり、段々と手を抜き始め、やがて仕事に支障をきたす・・・・
私生活が充実している人は、スロースターターでも、着実に仕事をこなしていく・・・家の中の主であり、かじ取り役である自分を認識しているから、クビになるわけにいかないので、仕事も丁寧で、何事にも勢いはなくとも熱心さと安定がある。
守るべきものがある人とそうでない人の「差」なのだ。
大して出来のよくない人でも、守るべきものがあると俄然強くなる。

毎日彼が違うのよ、なんてことを自慢げに話す女性や、奥さん以外の女性にうつつを抜かす男性は、理性で物事を判断していないから、いずれ、おかしな幕引きをせざるを得なくなる。
自分すら大切にしなくなるのだから・・・

理詰めで物事を考えるなんてなんて無粋な人だろう・・・とか、だって仕方ないでしょう、こうなったものは!なんて、開き直ったり、いかにもそれらしい言い訳を用意もするけれど、本当の理性を分かっていないんじゃないかな?確かにどうしようもないことはあって、その時人は戸惑うし、好きになってはいけない人を好きになることもあるんだと思う。
でもね、実は失恋すれば、諦めもついて、次の恋に進めるのだから、何もそこにじっとしていることなんてないんじゃないの?って思うのだ。
アンタは本当の恋愛を知らないからそんなことが言えるんだよ!なんて、若い人にまくし立てられそうだけど、たかだか、恋じゃない?
地球がひっくり返るわけでも、誰かが死んじゃうわけでもないんだから、もっと気楽に考えればいいと思うのです。
「死ぬほど好きなの」なんて言っても、それで死んだ人を見たことないし・・・

周りの人たちを見ていて、どんなに好きだとか、どうだとか言ったって、子を思う親の気持ちにかなうものなんて、きっとないでしょう、ってね。
無償で、無条件で、利害関係のない、ただ純粋に大切にする愛を育んでいる親子はとても美しいと思います。
そういう中で育てるからこそ、その子供達は、また、次の世代を愛していくのでしょう。
愛情は伝染する、と生物学者が聞いたら非科学的でぶっ倒れそうな結論ですけど・・・そう思います。
安っぽい馴れ合いを世紀の恋と勘違いしている人たちは、それを本物にするための努力を怠ってはいけないんですよ!
最初はみんな、そんなもの・・・・その後の愛情のかけ方で違ってくるのですから・・

子供達への愛情の示し方を間違えた時、よく思うのです・・・私の親も、こうやって、不器用に私を愛してくれていたのだなあ・・・・ってね。
愛情は必ずしも心地良く相手に届けられるとは限らない。怒りだったり、残酷だったり・・・・でも、受け取る側も上手く受け取れるとは限らない。
どんなに愛情を押し付けても、そのままの形では伝わりにくいことがある。
自分の愛情がまだ残った相手に別れを告げられたら、きっと憎しみや悲しみとなって、嫌な言葉を投げつけるだろうし、逆に心がもう残っていない人にいくら愛を表現されても、心は閉じていくばかりだ・・・
お世辞にもそういうコミュニケーションが上手とはいえない私がなんとか母をやっていられるのは、とにかく、何があっても逃げずに、何度でもやり方を変えてチャレンジしているからなんじゃないかと思うのだ。
でなければ、子供達は今頃、何も私なんかには話したりしなくなってて、冷め切った家族の出来上がり!ってことでしょう・・・・
人生いつも背水の陣・・・ここより他にいいところなんてないのだってこと、嫌だったら心地良いように、自分でやりかえること・・・それを心してこれからもやっていこう。
仲良く見えることは、その人たちは多分、努力してるんだって気がついたほうがいい・・・・
棚からぼた餅は、そうそう人生で何度もはないんだからね。