嫌いな人が、めまいを起こして、調子が悪いとのこと。
いつもいつも、周囲の人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせている人なので、神様はようやくばちを当ててくれたんだろうと、ほくそえむ・・・・
なんて意地悪な自分だろう。
朝食はキャンディやお土産のお菓子とコーヒーのがぶ飲み
昼はうどんかせいぜいコンビニのお弁当
夜は炭水化物を抜いた湯豆腐とか、低カロリーなもの・・・
これでは、倒れるのも当たり前。
栄養学的に言えば、まるっきり、ビタミンもミネラルもエネルギーも足りていない(1日1600キロカロリーが目標なんだそうです・・・・それって、糖尿病患者さんと同じです・・・健康な成人男性は2000キロカロリーは必要なはずです)
ご飯をいただくということは、命を、自然をいただくということ。
いただきますと言って、感謝して口に運べば、体はそのエネルギーを隅々まで送り届けてくれる。
生かされている自分の体と心を時々でいいから感じていれば、食事はそうそうおろそかにはならない。
肉を食べなくなってきている私だけど、これは、別に、意識して避けているわけじゃあないの。
体が要らないと、私に訴えかける・・・・肉よりも、その野菜やご飯を食べようよ、と・・・・・
なので、これは、別にダイエットとは違う。
子供と夕食を囲むので、少量の良質なお肉や、季節の魚は口にする。
もはや、お肉は、実のところ、無くてもかまわないものとなりつつある・・・・・
それとは間逆に、野菜とご飯が無いと、これは耐えられない!!!
自分で漬けたお漬物や、味噌。
タイミングもばっちりで、美味しく炊けたご飯。
完全なるヴィーガンにはなれていないけれど、今の私にはぴったりの分量と質のようだ。
菜食主義になると、ビタミンB12が不足してくるという・・・・
でも、それは、シリアルで補えばいいんだそう。
体が軽くなってきて、そう言えば、最近は「疲れた」と、言わなくなってきた。
相変わらず、肩がこったー!腰が痛ーい!とは言っているけれども・・・・
野菜も、玄米や雑穀も、どうやら私にとても不思議な魔法をかけ続けているようだ。
20代、30代の時よりも、体は老いているはずなのに、しかも持病も顔を出して、辛い時もあるはずなのに、なぜか、ヤマを越しても、疲れていない。
摩訶不思議。
倒れる人は、体の声を聞いてあげていないのだろう。
周囲の人の声さえ遮る人だから・・・・・
私は、自分に、家族に、そのように、自分の体の声に耳を傾けない人でいてほしくはない。
昔、偏食で、お肉もお魚も、卵も牛乳も嫌いだった私がいる。
好んで食べていたのはご飯と梅干とスキムミルクとお野菜とぬか漬け・・・・・
そうか、その頃は、自分の体の声を無視していなかったんだな、と思う。
好き嫌いを言う悪い子は、お肉もお魚も・・・無理やり食べさせられた。
疳の虫が激しくなり、風邪をひいては寝込み、夏には貧血を起こし、しょっちゅう病院のお世話になるひ弱な女の子になった。
そして、40をずっとはるかに過ぎた私は、玄米と雑穀と豆乳や豆類、海草や野菜を好んで食べるようになって、倒れなくなって、なんだかお肌もすっかりすべすべになって、健康的に見えるようになった。
私は、次に倒れる時は、棺おけに入る時となんとなく分かっている。
寝込むことはこれからもちょくちょくあるかもしれないけれど、自然に支えられていることが、全身で理解できるようになったので、あの人のような愚かな人間にはならないと思う。
自然と対話できない人は、あの人一人ではないけれど、せっかく注がれている明るい日差しを、自分で遮り、暗いほうへ好んで行く人を止められはしない。
また倒れるのだろう・・・・命が削られても、生き方を正そうとはしないから・・・・
私は、前を向いて、空を仰いで、自然を感じて、そうして生きて行こうと思う。
所詮、自分も自然の一部・・・・そう、偉大な自然の一部でいられることこそを、めでて生きることは幸せだと思うから。