天照大御神の御隠れ(2009.7.22)

天気予報は気になっていたけど、見られるか、見られないかは半分半分。
でも、見ることが出来ました。
肉眼で(※良い子は真似しちゃいけないんですけど・・・・)
曇っていたのに、一瞬、雲が薄くなって、見ることが出来ました。

雲の切れ間なので、あたふたとカメラを用意して、サングラスをかけさせている間に、ベストショットは流れてしまいました・・・・
ちょこっと欠けてるのが分かるかな~?う~ん・・・・?????
まあ、直接見ることが出来たので、私本人は結構満足です。
地球という星や、この太陽系・・・ひいては、宇宙という存在のすごさを、こういうことがあるたびに感じます。
「生きている」のではなく「生かされている」のですね・・・・
がんばることや、力を出すこと、惜しまずに精一杯やらなくちゃいけません。

天照大御神が、天岩戸に御隠れになった時、外で太鼓をたたいたり、楽しそうに宴を開いたら、そっと覗いて・・・その隙に扉をこじ開け、また、外にお出になった・・・・という言い伝え・・・・
面白くも、悲しい話だと、子供の頃に思いました。

なぜ、神様なのに、他の迷惑なことを考えずに、隠れちゃったりするんだろう・・?なんて、子供らしくも真っ直ぐな疑問を感じました。
でも、今は少し違うかな・・・
天照は、神に生まれたくて生まれたわけじゃない。
生まれた途端、「太陽の仕事」をしなくてはならなくて、民のことも考えなくてはならなくて・・・・それは大変だったのだろうと思うのだ。
大変でも、それでも、やらなくちゃならなくなるってことは、想像できないほど、心が重いに違いない・・・・責任や義務というもの、果たすということは、結構な負担だったに違いない。
それでも、やっぱり、必要な存在なので、何とかがんばってね、と、引っ張り出したんだな。
今は、色々な立場に立つ機会もあって、神様ほどじゃないけど、責任も義務もある。なんだかんだ言っても私は自分で選んできたので仕方ないとも開き直れるけど、彼女は大変だったね。
たった小一時間ほどだったけど、御隠れして、ストレス発散できたのならいいのだけど・・・・・ね(^^♪