そんな風に、ここ数ヶ月、少し感じています。
細○○子風に言えば「アナタハ今、大殺界デスヨ」って感じでしょうか?
本当にどうかは、実は知らないけど(以前、ハマっていた友人が私をこの人の占いで占ってくれたら、ことごとく当たらないので、この方法はどうも私向きじゃない、と思って、それ以来すっかりご無沙汰・・・)・・・・
占いは、いい加減なものはともかく、四柱推命とか、姓名判断みたいなものは、統計学、と理解しています。
統計なので、当然、外れてる人もいるわけで、字画は悪いのに幸せな人もいれば、読みも画も、完璧なのにさえない人もいます。
同じ姓名判断でも、こちらの方法で占えばサイコーなのに、こっちでやるとぱっとしない・・・ってこともあるし・・・・(鈴木さんちが息子に一郎って名前をつけたからって、だれもがメジャーリーガーになれないのと同じ・・・)
でも、どちらにしても、とかく、いい方を信じたほうがポジテイブでいられるのは事実。
私にタロット占いを教えてくれた人は「占いで人生決まるわけじゃないの。一つの頭の中で考えてたら、客観的に分析できなくなるから、そういう時に自分が本当に考えていることを雑念を取っ払ってクリアにする作業なのよ」と最初に理をつけた。
当たっていたら「そうか、やっぱりそうだな」と思えるし、外れていたら「いやいや、雑念が多すぎて、ちゃんと結果が出ていない」と考えた結果「本当にやりたいことはこれこれこうだったんだよな」と、頭の中が整理できるというわけです。
でも、占うと言う作業は、そういう脳科学的なカウンセリング的な側面と、何か神秘的な、メンタルな部分に触れる不思議な側面も持っています。
「私より、向いてるわよ」と言ってくれた、その知人にもらったカードは、ボロボロになるまで使っていたけど(自分ではなく、友人・知人達に占って、とお願いされて何度もやっているうちに・・・・)、久々に机の隅から出てくると、あまりにひどい状態になっていたので、新しいものを買いました。
コーティングも剥がれてボロボロの20年以上選手のカードは、畑の隅で、燃やして供養しました。
「今までありがとう」と、言葉を添えて。
「あなたのほうが、占い師に向いてるわね」と、当時、その知人は私に言った。
「何で?」
「相手の思ったことが、あなたのカードには素直に出るから・・・私は、私の雑念や思い込みを封じ込めるのに、かなりな力を要するのよ」と、彼女は笑っていた。
彼女は、占う時に、自分の主観が入り込んでしまい、占ってもらう人の思いをはじいてしまう事が時々あるのだという。
その時は、何のことだろう、と思っていたが、今は少し、その感覚が分かる。
その彼女が、占いにはまるきっかけとなった、「大アルカナ」のタロットカード22枚を、「もうこれは使わないから・・・」と、私に譲ってくれたのが、私とタロットカードとの出会い。
彼女と出会っていなければ、私はタロットなど覚えなかっただろうと思う。
超現実主義なので・・・(笑)
教えてくれた彼女だって、怪しくもなんともない普通に社会人している現実主義者。そんな2人とタロットって、いささかイメージは合わない。
でも、教えてもらううち、肉体的、科学的というだけでは割り切れない、精神領域のようなものも確かに何かあるんだろう・・・くらいは感じていた。
カードの置き方や意味を理解してから、周囲の友人達を占ったり、友人の友人とか、まったく知らない人を視てあげても、なぜだかよく当たると言われていた。
知らない人の生い立ちまでは、こちらはまったく知らないのだから、「当たってる」と言われても、当時の私は困惑するだけだったのだけど・・・・。
感覚が今は分かる・・・と言うのは、占いとナチュクリは似ている、と言うこと。
自分の力ではない何かが、体を通っていく感じが・・・・
その人の念が強いと、するっと何かが体を通って、カ-ドに反映される。
その何かは分からないのだけど・・・・・決して違和感があるわけではなく、向こうでざわざわと木をなでる風の音がしたら、数秒後に自分の体をなでるように風が渡っていく・・・と言うような感じ。
どちらかといえば、爽やか。
だから、「占いなんて!」って、馬鹿にしている人が、悪戯半分で占うと、良い結果はほぼ100%出なかった。体の中を何も通らない。占いようがないバラバラのカードの羅列になることが多い。しかも、主体性がないものだから小アルカナのカードばかりで、これという特徴も現れないことが経験済みだ。
占うのは私でも、それは手段の一つで、私は媒体になってるに過ぎない、という感覚。
「大アルカナ」では細かなことは占えないので、知人が持っていたのと同じ、「小アルカナ」を加えた78枚のカードを購入した。
そして久し振りに、自分を占ってみたのです。
当時はそれほど興味がなかったので、友人からもらった大アルカナカードしか手元に置くことはなかったけど、色々な占い方を教えてもらっていたので、懐かしさが先にたった。
およ、ビックリ!10年以上ブランクがあっても意外にカードの意味やルールを覚えているものである。
嫌な結果が出てしまって、カードがゴメンね、と言っているようだった。
(カードには、一枚一枚、最初に挨拶をしておいたのですヨ!)
たくさんの障害物に、自分のココロの狭さ、板ばさみやら、意外なところからのアクシデントなどなど・・・・近い過去は、まさにその通りで、近未来に持ち越してしまうものがいくつかある・・・・
でも未来に向けて、ひたすら耐えて、じっとしておけ、という啓示は出ていない。
少ししか動けない時でもそれなりに、自由になってくれば動きを広げることを忘れないように、という足元を見つつも、いつも前向きでいなさいというアドバイス。
分かっててもやれていなかった自分に、このカードたちは、渇!を入れてくれているようだ。
自分のココロに触れるものたちは、科学的には無機物でも、違うものが宿っていると感じる。
例えば、仏像や十字架がただのモノではないのと同じように・・・
誰かの思いや気持ち、そして作業や代わりを引き受けるものたちは、何かが宿るものなのかも知れない。
最初にCPPに入ったとき、重曹やビネガーや・・・そんなものたちに「お前たち」なんて言うのは、子供っぽくてこっぱずかしかった・・・・でも自分の手足のように、自分の代わりに立ち働くモノ達には、気がつけば、隣人のように、友人のように接していた。無機物を尊敬さえしているのであるから、かなり私の心持ちは昔と比べると変化したんだろうと思う。
声をかけたほうが、重曹たちもせっせと働いてくれてるような気さえする・・・でもね、思い過ごしでもないの・・・・。
例えばピアノ・・・・猫がふんでも、私が弾いても、ピアノは音を出すけど、ピアニストが弾くようには、人を感動させる音を作れないのと同じく、同じものを使っても出る結果が違うことって、そこにもここにもある・・・不思議なことにね・・・・
そういう意味でカードも同じ。
何かを進めるきっかけになってください、とお願いすれば、念ずれば通ずる・・・で、そういう結果を出してくれるようです。
頼るのではなく、うつむき過ぎていた頭をしゃんと上げ、現実を直視するためのプロローグのようなものかな。
占いでいい結果が出たから、何でも上手く行く、なんて程、この世は単純じゃないでしょう?
しかも、タナボタは長く続いたりしません。
でも、いい結果を出すためには努力しなけりゃならないのは当然の事。結果はシンプルです。
私が今回手にしたカードは極々スタンダードなもの・・・でも、手に取ったとき、ピンときました。
以前、知人からもらったカードもわりにポジティブシンキングな子でしたが、今回もそんな感じです。
何種類かあるカードのうち、手に取った瞬間に、「あ、これはかなりネガティブだな・・・」と、感じるものもあるのです。
深刻な悩みを占うのには、そういうダーティカードもいいかもしれません。集めているコレクターさえいると聞きました。タロットカードって、芸術的で図柄が美しいですから・・・・。
でも、私は能動的で、ポジティブに生きたい、と考えているのでそんな自分の気持ちを支えてくれる明るいカードをこそ、手元において置きたいのです。決してコレクターではなく、あくまで使用者。
神様は気まぐれで、時折、ぷいっと目をそらし、私から幸運を遠ざけてしまうことがあります。
でも、いずれは女神はまた、誰かから目をそらしたとき、こちらを向いてくれるのでしょうね。
そんな風に思うのも、今回の自分占いのキーカードは「運命の輪」のリバースだったから。
運命の輪のリバースの意味は「急降下」「逃したチャンス」・・・本来はあまりいい意味ではないのです。
でも、正位置でも、「一時的な幸運」とか「今だけのチャンス」と言ったマイナーな意味も含む複雑なカードです。出方や他のカードとの関連、占者によっても解釈の違ってくる難しいカードの一つ。
のんちゃん的には、いい事があっても浮かれずに、努力を惜しまないように、ってことだと思っています。そして、辛いことや苦しいことも、いつまでも続きはしないから、流れが変わるときに乗り遅れないよう、しっかり準備をしておきなさいね、と解釈。
あれれ、実は向いてる???私・・・???職業、占い師に変更でどうでしょう・・・?(笑)
うわ、ホンマもんの「魔女」になっちゃうかも!?