生まれて初めて、という量の松茸を目にした。
豪気に築地から仕入れたという。
すごいー。国産松茸が大箱にいっぱい、
こぼれんばかりに入ってるー。
それも二箱ー!
人間は驚くと語尾が延びるのだなあ、と思いながら、
単純に圧倒されるのであった。
この世にはやはり、ひれ伏したくなる迫力、
というものが存在する。(大げさ)
松茸ごはん二種、土瓶蒸し、焼き松茸と、
得も言われぬ香気に陶酔。
幸福感(口福感?)にひたる。
炊き込みごはんはやはり、
土鍋で炊くほうが美味しいと全員一致。
最新の圧力炊飯器は、もちろん合格点の仕事をするが、
それが物事のベストではないという話。
なんだか現代を象徴している。
合格点をクリアして、高め安定は確かにエライ。
でもときに失敗するかもしれないけれど、
いいかげんでいつも頼りにならないかもしれないけれど、
たまにとんでもないベスト・オブ・ザ・ベストを生む道を、
もっと許容する社会にならないものかしらん。
つまりはスサナルの暴れる気持ちを、
松茸を食べながら炊飯器より論じる。
予定調和のレール上をあえてはずれる贅沢は、
確かに平和のなせる技かもしれないですけれど、
道草は楽し。子どもの頃、そう思いませんでした?
地図のない小さな探検の先に、
いつも思いがけない異次元への扉があった。
私たちの魂は、むしろそのようにして、
遊びながら豊穣にたどり着くのではないでしょうか。