ずっと病床にあった義父が、桜の開花宣言が日本を北上するこの時期に逝きました。
10年前、はじめて脳梗塞で倒れてから、随分日が経ったと感じます。
脳梗塞も1度ではなく数度・・・・
それでも、この最後の死因になった脳梗塞以外は、不屈の精神力と体力で、「ダメかも・・・」と医者から言われても、何度も蘇って私たちを驚かせました。
今回も、そうして、また戻ってくると、なぜか、みんな思っていたのです。
夜、付き添って泊まった義母と義姉、仕事の合間にせっせと通った貴方の息子と私と貴方の孫たち。
意識が戻らなくなっても、話しかけると反応することもあって、私たちはあれやこれやと枕元で貴方に話しました。さぞかしうるさかったことでしょう。
でも、話しかけると、いつものように笑顔で頷いてくれるような、そんな気がして、誰もが貴方に話しかけることをやめられなかったのです。
実は、聞いていたのではないですか?眠ったふりだったのではないですか?
最後の半年は、他の病気も併発して、苦しいことや痛いことばかりで、たくさん我慢をさせてしまいました。
私は貴方の息子の嫁として、決してできが良くは無かったですけど、一生懸命さだけは失わずに、これからもやっていこうと思っています。
今は、目の前の人が死に際したときに、周囲の人間がしなくてはならない事務的な処理に追われて、時折寂しさが襲ってきても、どっぷり落ち込まずに済んでいます。貴方の息子も同じく、たくさんの慣れない処理にじたばたしています。
まだ、その辺にいて、きっと可笑しく見つめているでしょうか?この季節、たくさんの人が逝きました。
知ってる人、ちょっとだけ知ってる人、縁の深い人、血の繋がっている人・・・・
一様に、闘病していた方たちばかりです。
あちらの、まだ私の行ったことのない場所で(でも、生まれる前はそこにいたりしたのでしょうか?記憶が無くても・・・?)会ったら、ああ、あの娘さんのお父さんですか?なんて、声をかけられたりするのかも知れません。
シャイで、口数の少ない義父のこと、先に逝ってしまった方たち、どうぞ、よろしくお願いいたします。
孫達にとっては英雄で、私にとっては13年前に実の父が亡くなってからは、義父が本当の父でした。
義父が意識のある最後に、孫が好成績を収めたのをとても喜んでいたこと、その日のうちに義母から聞きました。本当に、孫のこと、気にしてくれていたのですね。
人間としての品格や学業に厳しい義父でしたけれど、私の子供たちは、それを子供なりに充分理解して、貴方の夢と自分の夢の重なった部分の努力は今も怠っていません。
「老いる」ということ、「病と戦うことと共存すること」ということ、「生き切る」ということ、そして「死ぬ」ということを、貴方は先輩として、子供たちに見せてくれました。
私も、子供や孫にいずれそれを身を持って教える日が来るのでしょうが、貴方のように何度も何度も立ち上がれるかは自信がありません。
桜の季節になる度、貴方のことを家族の誰もが思い出し、きっと語るのでしょう。
今はゆっくりと思い出に浸ったり、悲しさの涙を流す暇もなく、忙殺される日々ですが、残された思い出は、それぞれの心の中に大切にしまっていますから、少し先に、ゆっくりと開いてみようと思います。
今も、貴方の入院していた病院の前を通る時、あの部屋に、まだいるんじゃないか、とさえ思うのです。
だれもが、まだ貴方のいないことに慣れないでいます。
時間ができる頃は、ようやく、そこここにある貴方の気配が、優しい思い出に変わり、笑って話せるようになっているのかもしれません。そうあって欲しいと、今はただ、忙しさに身を置き、時が過ぎるのを待っています。