久しぶりの、週の中日の休日・・・・
政府が、連休にしなくちゃ政策を勝手に進めた結果、休みといえばいつも連休で、ダラダラして終わってしまう。
昔は、飛び石連休だったり、こんな風にポコンと週の真ん中に休みが入ったりして、例えば、物を売る商店も、イベントごとに知恵を絞ったり、一方、休む側のこっちも、中途半端だから今回は図書館に行こうとか、映画にしようとか、あるいは、家で撮り溜めていたビデオを消化しようとか・・・頭を使って、少ない自由な時間を謳歌していたような気がする。
今は、基本週休2日、時間は驚くくらいたっぷりあって、よく言えば「余裕がある」・・・悪く言えば「ボーっとしてるだけ」の、時間を費やしているような気がする。
モチロン、そんなのは学生の間だけで、仕事を始めたら、このご時世、休みなんて無きが如しなんだけどね・・・
ただ、子供のころから、だらっとした時間のすごし方を覚えてしまった人間が、大人になったとき、勤勉に、休日も返上して働かなきゃならないときに、ぴしっと動けるのかはなぞなんだけどね・・・・。
だって、のんちゃんは、お母さんとおばあちゃんにとことん甘えて大きくなった。
兼業農家で忙しかったせいで、トロトロと私が掃除や片づけをしているのを待ってられなかったからか、母も祖母も、ちゃっちゃと自分たちで私のものをも片付けてしまっていた。
だから、自分のものを片すのが、実は今でも苦手で、家の中はいつもごちゃごちゃしている。
子供たちにそれを教えるのもへたっぴなので、子供たちも整理整頓はとても苦手。
ナチュクリのおかげで、ずいぶんとスッキリしてきて、今はかなり、人の住処に近くなっているけれども・・・・・・
三つ子の魂百まで・・・って言うように、子供の時の環境はほとんどの場合、人生に影響を及ぼすと思う。
ミヒャエル・エンデの「モモ」に、時間泥棒が出てくるけれど、私たちは、暇を与えてもらったような体で、実は盗まれているのかもしれない。
誰かの助けなしに、子供たちが有効な時間を使えるようになるなんて、私には到底思えない。
我が家でも、上の子は土曜も学校があるけれど、下の子はまだ公立の小学生なので、土曜が休みだ・・・・。子供が休みでも、私も相方も仕事、お兄ちゃんは学校。
下の子はたいした時間をすごすことなく、テレビゲームかパソコンをやるくらいの午前中を過ごしている。
豊かな時間は、使い方を知ってる人たちだけが使える、魔法の時間だ。
そんな大人になるために、子供の間は、学ぶべきなんじゃないかと思う。
豊かな時間をすごしている大人を見たり、話をすべきなのだと思う。
「モモ」を読んだことのない人は、一度読んでみるといい。
得ることも与えることもないと判断された時間をすっかり削られた大人は、人間性を失い、疲れ果ててしまうのだ。
交わすべき会話の内容をそれぞれが持ち寄り、誰かと話すこと、それこそが、きっととても豊かな社会を築くと思うのだ。
誰でも「モモ」になれるし、家族や親友は「モモ」そのものなんだと思う。
最近、子供に怒ってばかりの私を少し反省した。
明日から、「モモ」を見習おう。