「貴女のいう事をできない人はたくさんいますよ」
と、言われた。
私はその意見には頷けなかった。
いや、むしろ、そんなはずはない、と反論してしまった。
(別に激しいバトルをしたわけぢゃああないよっ!)
ある人に(どうせ難しいことが理解できる人ではないので)下のことを守って欲しいと言っただけ・・・
①「病気の人間を病気の時に叱咤しない(その時動けないのだから・・・)」
②「う●こをトイレで撒き散らしたまま放置しない(次の人も困るけど、それを掃除しなきゃならない人の身にもなって・・・・)」
③「自分の家からゴミを持ってきて会社のゴミに混ぜない(分別もしていないなんて高松市民は困るんですっ!)」
④「パソコンのメールくらいは使えるようにする(メアドの登録の仕方くらいは、いい加減覚えましょうよ!もう、何十回人に聞けば覚えるんですか?)」
④「禁煙場所で喫煙しない(これは、もう、当たり前中の当たり前でしょう・・・?)」
④「簡単な約束を守らない、若しくはすっとぼける(幼児かよっ!)ことをしない」
・・・と、これらのことなのだ。
どうだろう?39歳の男性ができないこと、何か一つでもありますか?
できないのではなく、しないだけって、誰もがわかるでしょう?
そのあきれた人の上司である(・・・なので、実に、私は彼の置かれた身の上に関しては、激しい同情心・・・或いはちょっと違っていれば、私がなっていたかもしれない身の上なので、罪悪感も抱きつつ・・・)、会話の相手は、自分がやって、背中を見せて、自然発生的に・自発的にやってくれるのを待つ、と言った。
39年間できない人が、やれる?
上司のあなたがいないところでもやれるようになる?甚だ疑問な上、確実ではない、と思うのです。いえ、答えはハッキリと「否」。
出来るようになるまでに何度、どれくらいの人に迷惑をかけるの?私は39歳のその人が嫌いですが、理由は、上記の通り(今までも時折ブログでも出てきた人ですが・・)。
家事や生活の仕方、食事をてんでバカにしている人でもあるからです。
それらは何をおいても、私が大切にしているものでもあります。
自分の足元を見ずに、土台を組み立てずに、何度やっても、仕事も満足な結果は出ないでしょう。
同じところでいつもしくじっている。
だって、何が悪いのかさえ分析もせず、いつもただ右往左往して、時間が過ぎるのだけを待っている人なのですから・・・・。
こんな時代でも雇ってくれている会社があることへの感謝さえもないのです。
ダイエットで健康な体を痛めつけていることも、私の鳥肌を立たせる理由です。(そもそも、今は頭が禿げていることもあって、マッチ棒のようなシルエットになっています・・・)
自分さえも大切にできないから、友人の一人さえ、その人はいないのです。そして家族も作れない。
たった数十分話しただけで、まったくの初めての人にさえ「あの人はどういう人なの?」と、聞かれてしまうこともざらだ・・・。
いたわりや同情は、過ぎれば悪影響を与えかねないモノかもしれないけれど、私は、その人の中に、他人に対する優しさのようなものがあるのかさえ、見つけ出すことができない。
でも、徹底的に、保身はします。プライドも確固たる信念もないから、上司や、自分が得をするだろうと思われる人には媚びます。
あくまで、保身の為なので、決して、その「媚」が、クライアントや本筋の仕事に生かされることはなく、社内のみで発揮されています。
背中を見せれば直る、と言った、貴方の部下の歪んだ自己愛の行方を、腰をすえて見せてもらおうと思う。
私は、臨床実験を見るのは大好きです。
朝顔やひまわりがが育つのを日記につけたり、癖の悪い犬を少しずつ矯正して、日々観察するのはむしろ私の得意分野かもしれません。とても楽しみです。
39にもなった人が、ちゃんとトイレの始末ができたり、メールを送ることができるようになることは、とても楽しみです。まるで幼稚園のお遊戯でも見ているようです。
「自分のためなら周囲の人がどうなろうと構わない」
そんな冷たい感情をしょっちゅう見せるその人は、誰かの背中を見て、果たして自己改革をすることなどできるのでしょうか?
39年の生きてきた道を、間違いだと認めることと同等な行為など、受け入れるのでしょうか・・・・?
え?のんちゃん?
あー・・・間違ってる時は、割と変わり身早いです。だって、間違いなのに、それから先も、本当は自分でもそうだと分かってることを、無理矢理正当化して生きていくことのほうが、重いし、損だから。
もっとも・・・年なので、分岐点に立ったとき、考える時間がどんどん長くはなってますけどね・・・・もとがお馬鹿な上、老化で脳の反応がにぶ~くなって行ってるので・・・・(笑)
ちょっと間違ったほうに進んでから、慌ててもとの位置に戻ることもしばしば・・・・・失敗はさほど、恐れていません。
重要なことは、「何度失敗をしても、真実にたどり着く為の努力はいつも惜しまず続ける」ことだと、最近は思うのです。
こんなにお間抜けで、失敗だらけの私なのに、触れ合ってくれる人たちや、大切にしてくれる人たちがたくさんいます。
どん底の時や、絶望的な時でさえ、暗い私の心に灯を点してくれる人たちです。
自分だけのためにがんばることは難しいけれど、そんな大切な人たちを悲しませない為に、がんばることは、何故だかできるのです。
誰かに繋がってる、毎日の生活は、だから、大切なのです。そして、大切なものがたくさんあればあるほど、どんなひどい失敗も癒すことができ、次への活力が生まれます。
ま、小難しく書いてしまいましたけど、「自分のウ●コの始末くらいはつけろよな!社会人なんだから!」ってことです。そして、身近な人間にそんな事、言わせないでよっ!ってことです。ハイ!
それにしても・・・・私は、そんなに不可能なことをいつも誰かに強要してるんだろうか????