地域の行事とか、家の中のなんやかや・・・秋ってバタバタしています。
数年前は慣れてなくて、くったくた(T_T)・・と言う状況だったのですが・・・・
今年は、下の子供の人権集会の発表会と、地元の文化祭のコラボ。
さる落語家さんの講演会があるので、それを子供たちに見せてあげたいと言う、母親部さんたちの熱い思いがあってのことです。
本物の何かに触れるってことは大切なんだと思うのです。
かく言う私・・・子供の頃にオーケストラを聴く機会があって、それで多分音楽好きになったと記憶しているからです。
美しい生の音は、まだ清く正しかった頃(?)の私の心に染み渡り、感動させてもらったものです。
ピアノはなかなか上達しなかったけど、それでも、今でもヘタッピなピアノを時々弾くことができるのは、習わせてもらったおかげ・・・・
子供たちの出し物はがんばっていて、よくやったね!とどの子にも言ってあげたい。
私は、今年で子供がこの学校から卒業するから、関わりは薄くなるけれど、子供が6年間がんばったことは、忘れない。PTAの役員も、今年で終わり・・・・ようやくの終わりを迎える。
地区の役員はそれでも、ランダムに回ってくるんでしょうけど、拠る年波に勝てなくなって、適当に手を抜くことを覚えました・・・・
いや、サボるってワケではなく、力を抜いてやっていいんじゃないかということです。
無理してやっていた頃は、ストレスのたまり具合も半端じゃなかったし、体力的にも厳しいものがあったのですが、何て言われようと構わないもんね、と思いはじめて以来、とばすことがなくなりました。
自分のペースでやります。どうしても無理な時は無理です、とハッキリ言うこと・・・ただそれだけでした。
責任は果たしますが、仕事に支障をきたすようでは、問題外です。
食事を作っている途中で時間になったら・・・・でも、あと10分で食事の用意が完成なのなら、そっちを優先したっていいじゃない?ってことなんです。
家族の協力なくして、ボランティアって成り立ちません。その家族をないがしろにするなんて、あんまりってことです。
だから、ワガママと言われたって、もう平気です。人の顔色もそう気になりません。
気にしたところで、その人の顔色を変色させることなんて、私には出来ないって思うんです。
いい意味での個人主義・・・セルフコントロールは、他人じゃどうしようもないですね。
今、時々自分の正しい立ち位置が分からなくなることがあるけれど・・・・分からないから放っておいたりしてはいけないのだ。
正しい判断や動きは、大体な所からは生まれてこない。
潔く生きること!・・・・それがあと半分残された自分の人生を飾る言葉であって欲しいと思うのだ。
かっこよすぎる?・・・(笑)
いえいえ、かっこ悪さもひっくるめて、「潔く」!
私は失敗だらけの人間ですから、回り道もたくさん・・・でもね、その回り道の中に、たくさんの宝物を拾うことが出来ました。
潔くと言うのは、生き方そのものです。
失敗したら「潔く」認めて、「潔く」パターンを変える。
年を経てもなお、変化し続ける人間でいたいと言うことです。自分を変えることではないのです。変化を受け入れ、自分をコントロールしていくこと・・・難しいけど、やはり、それが肝要ではないでしょうか。