高松の10月にて(2008.10.19)

暑!!!
まだまだ半袖が片付かない高松の気候!
今日は息子の英検に付き合って、街に出る。
もう、ウィンドウショッピングなど面倒くさい年頃なので、少し離れているけれど、小一時間、場所を変えて喫茶店で時間を潰す。
癒し空間に身をおくと、時間の流れ方が変わり、ゆったりと物事を考えられるようになる。
忙しくて、ゆっくり考える暇、確かにここしばらくなかった。
無ければ無いで慌しく過ごすこともやぶさかでは無いけれども・・・・・時折、自分だけの時間を過ごすことは、やはり大切なのだと思う。
我侭な私は、子供の頃から、こうして自分だけの時間を無理矢理にでも確保してきた。
出来なかったのは子育ての間の数年間かな・・・?
そしてまた、一段落した今、一人と言う時間はどれほど贅沢で貴重かということがわかっている。
一人でいる時間を有意義に過ごすと言うことは、かなり難しいんじゃないかと今なら分かるのだ。独身の頃、悪戯に使っていた時間と、今の一人と言うファクターは随分と違っていることに気がつかされる。
意識せずに一人だったあの頃・・・・意識して、作り出さねば存在しない一人と言う時間・・・・
一人でいられることの価値に気がつかない馬鹿者どももいたりするのだけど、それは仕方ないかもしれない。
でも、30歳を過ぎた人なら、未婚でも既婚でも多分それに気付いている人のほうが、はるかに多いのではないかと思う。
私は、一人でいない時間、周囲の人たちにたくさんのことを学ばせてもらった。家族や仲間や、たくさんの人に囲まれて、実に濃厚な時間を過ごした。それほど居心地がいいものだから、一人になることの不安も味わった。
でも今、時折、一人になることの重要性も感じつつある。
それは、仕事を辞めるだとか、離婚するだとか、そんな類のものではなく・・・・・
人生のターニングポイントを曲がり、まだまだ大変なこともあるけれど、それらを含めて、考えたり行動を起こしたりする必要がある。
40を過ぎて思うのは、それまでの積み重ねがどれほど大切かと言うことだ。人の輪も、キャリアも・・・
何も気がつかず、たらりと生きてきた人間は、何ものをも完成させられず、やはりただ無造作に時間だけ失っている・・・・
もしかしたら、人は何かを完成させられることの無い生物なのかもしれないけれど、それでも何かを作り、何かを創造し得る生物だと認識する。
一人・・・・それは、多分、人だけではなく、地球上の生物が皆、平等に感じることの出来る感性のひとつなのかもしれない。孤独を実感してはじめて、一人ではないことの意味も分かるのだから・・・・