白いダイヤの眠る故郷へ・・・(2008.8.2)

そして、いよいよ、仕事である「重曹工場」の取材。
詳細は、後々上がって来る、スタッフブログにて・・・
とにかく広い。
モンゴルの大地は、素晴らしく懐が広い。
塩っ気とアルカリ度の高さで、よほど強い雑草以外はほとんど生えない。
普通にアルカリ度はph9~11ほどあるそうで、単純な重曹よりはるかにキツイものだと学習する。
どれほどデカイかこうして並ぶと分かりますか?
トロナのついた皮膚は、小さな傷でもあれば、ピリピリする。これを手にくっつけたまま、目でもこするとそれは大変なのだそうだ・・・・。
そんなだから、植物が生えない。生物が繁殖・繁茂するのには難しい大地なのだ、ここは・・・。
足元も、視線を送ったその先も、ずっと続く道の横も、すべてトロナ。
昔は海だったその証拠が、このトロナと呼ばれる鉱脈だ。
陸に上がり、何千年かを経ても、まだ私たちは「海」の恩恵を受け、海と対話し、海を感じている。
いいことだとか、悪いことだとか・・・は人が勝手に決めることで、資源が枯渇しようと、生態系が変わろうと、それは地球には痛くも痒くもない、表面上の小さな小さな出来事なんだろう・・・
もしかしたら、勝手に人が地上のあちらこちらに住んでいることさえ、地球は知らなくて、そしてどうでもいいのかもしれない。
けれど、地球で生まれた私たちは、こうして、地上に立ち、地球と言う惑星の他では快適に生きていくことなどできない生き物なのだから、もともと用意してくれていた地球環境を、自分たちの住みいいように、軌道を代えなくてはならないんだろうね。
この広大なトロナだって、ずっと掘り続ければ、いつかは枯渇する。
資源と言うものはそういうものだ。
昔、手掘りでこのトロナを採掘していたと聞く。
アルカリ度が高すぎて、皮膚はボロボロになるそうだ。
今、自分のべたべたとする手のひらを触りながら、アルカリ系の薬品に触っている感触とまさしく等しいと感じる。 でも、空気は清涼で、深呼吸しても私の喉も肺もここの空気には適応できている。
皮膚が邪魔をして、肺が邪魔をして、もう海には戻れない私の体は、それでももとは海だったここの大地には適応できるのだ。
どうしても来たかった場所、どうしても触れてみたかった大地がここにある。
もう、死ぬまで再度来れるかは分からない。だから、シャッターを切り、目にその風景をしっかりと焼き付ける。
この不思議な懐かしさは、ここから命が産まれ出でていたことを、DNAのどこかで感じているからなのかもしれない。海をやめても、海の恵みが豊かに残ったこの大地から、確かに私は恩恵を受けているのだから・・。
大地も海も、間違いなく父であり母なのだと、生物は本能で知っているのかも知れないね。そうでなければ、こんなに、泣きたいほどに何かが込み上げるなんてこと、多分、ないから・・・・。