参観日(2008.4.27)

日曜参観・・・・。
参観の後は、PTA総会と言う手はずなのだ。
体的には、昨日のこともあり、辛いけど、そんなことも言ってられない。
元気に通常通り起きた息子に朝ごはんを作り、自分達も食べ、「あとで行くからね!」と、送り出す。
昨年、担任の教師と児童達とのそりが合わず、クラスの中が嫌な雰囲気になっていたので、少々心配な幕開け・・・
息子は間に立って、すっかり憔悴して、家で何も話さなくなった・・・気を遣いすぎていると、明らかに分かる状態だった。
先日、家庭訪問の時、今年の担任の先生といち早く顔合わせをしているので、不安は軽減されていたけど、実際にクラスの様子を見るまではやはり少し気になるのです・・・・。
音読の時間が参観だったんだけど、昨年とうって変わって、すっかり明るいムードになっていた。
子供たちは発言や発表することを思い出し、先生はいけないことしてる子供をばしっと注意し、良くやった子をほめる・・・・・そんな当たり前の風景がそこにはあった。このリズムで、最後の小学生生活を精一杯楽しんで欲しいと思う。

日曜日と言うこともあって、我が家は、私と相方と上の子(6年の時の担任の先生がまだ学校にいるため、会いに・・・・)の3人がかりで参観した。
照れくさそうな下の息子は、でも、うれしそうだった。
それが終わって、相方と上の息子は帰宅した。私は残ってPTA総会に参加。

こうして、休日のイベントは終わった。
子供が生き生き、スクスクとできる場所を提供してあげなければ、結局未来は無い。
そんなこと、考えてもいない人たちも確かにいる。
子供がいないから、一人ぼっちだから・・・・・でも、それでも、所属している世界は同じ。
価値観が違おうと、環境が違おうと、向上心だけは失うことなく上を向いて行ければ、同じところにたどり着く。
子供達が手を離れ、年をとっても、体が思うようにならなくなっても、なにか自分にやれることを、私は持っていたい。
たくさんの体験や、たくさんの失敗の中で、人は学び、死ぬまで生長するのだと思う。先日の嫌なことも、私を育てる為に用意されたことなんだとすれば、私はこの1年で、あの状況でもにっこりと笑ってやり過ごしていける人になろうと決めた。
だから、もっともっと嫌味なことされたいものだ(M????)
子育てが内面を育ててくれたのなら、あの環境は外面をコントロールするためのものなのかな。
そもそも、嫌われようと、どんな陰口を叩かれようと、放っておけばそのうち沈下する。本体の無い話題だから・・・・
そんなことに惑わされると、自分の芯が腐ってしまう。
下の子のクラスの子供たちを見ながら、ちゃんとした大人にならないと、子供は育ってくれないよな、と自分に言い聞かせる。
下らない人間に足元をすくわれても、さっと立ち上がって、またすいすいと歩いていける、そんな風な生き方をしよう。
毎月、あと、12回、自分育ての会が待っている。