最後の儀式(2009.5.14)

昨日、仕事関係の人のお父様のお葬式に参列をしてきた。
この春は、コレでもか!と言うくらい、(自分家も含めて)お葬式の話題が絶えることなく、生活の中に場所をとっていた。
人が亡くなると言う事実は、例え、お葬式という儀式が終わっても、実感するにはなかなか時間がかかる。
亡くなる水際で、私が見るものと、亡くなる人が見るものとは、同じものを見ていたとしても、多分異なる。
以前、ブログで触れた、ハラスメンターS氏も、当然のように来ていた(仕事関係だから・・・・)。
自分がハラスメントを行った人の父親の葬式に参列する神経と言うのはどんなものなんだろう。
昨日、焼香の際にやり方を知らずに、躓いていた、と言う話は聞いていたけれど、さすがにお葬式では失敗していなかった。
焼香の帰り際、通路側に座っていた私に、とても嫌な目つきで、ガンをとばすような、そんな人なんだな、やはり・・・・こんな席でまで・・・(あーもう!お前が代わりに死んじゃえ!と、子供っぽくも思ってしまった!!!)
前日のお通夜には、地元の役員会の総会があって出ることができなかったけれど、まだ現役でバリバリと仕事をこなせていた人の急な死には、悲しさより、なぜ?という疑問符のほうが会場には色濃く漂っていたように思う。
逝くには少し早い人の式は、空気が少し違う。
やがて、穏やかな日常のリズムに埋没し、少しずつ周囲も落ち着き、居ないことになれるまで、悲しみや後悔の様なものは付きまとうけれど、式を終えれば、とりすまさなくてよくなる。
どうか、悲しみが早く癒えますように、と、この春逝った方たちのご遺族に、いつも心で祈っています。