自分なりの答え(2008.3.5)

好きでやっていることと、そうでないことがない交ぜになってるのが「生活」というもの。
それは、小さな子供のときから、死ぬまでそうなんじゃないかと思う。
好きでないことも、どうにか楽しんでやれたり、達成感を味わったり出来るようになるのが大人になるって事かなあ・・・?
重曹を啓蒙しながら、家事なんてだいっ嫌いな自分と向き合い、訥々とこなす自分を見つけたとき、少し大人になったんだなあ・・・と、思う。
石鹸を使う時より、ビネガーを使う時より、重曹と触れ合っているときに、なんだか体がホッとするのは何でなんだろう?
あちこちで論争されること・・・
石鹸のほうが効率よく汚れを落とす。重曹はクレンザーとしては効果があるけど。Phを下げるのでむしろ洗濯には不向きだ。重曹は洗浄力がないのでたくさん使うから不経済・・・・・・・・
と、たくさんのご意見、疑問と向き合う。
答えは用意しているけれど、結局はそれぞれが決めること。
たとえ、講座に出ても延々と合成洗剤を使い続けている人は・・・実はいるのだもの。
そちらの言い訳もたくさん聞いた・・・・
頂き物がたくさんあって・・・。ちょっとだけやってみたんだけどやっぱり面倒で。重曹ってお高いじゃないですか~?洗剤がなくなったら始めます。・・・・・
そういうことを言ってる人が華々しくも始めました、という報告を滅多に聞いたことがない。
始める人は、静かに、自然に、時々驚きながら、自然を感じながら、気がついたら生活の反物の中に重曹を織り込んでいるのだ・・・その中に、誰かへの言い訳など微塵も必要がないのだから・・・。

石鹸は好きだ。重曹と仲良く使ってあげれば、重曹にはゆっくりとしか出来ないことさえ、スピーデイに確実にこなしてくれるから・・・。スキッと中和してくれるビネガーも好き。
重曹を知らなければ、この2つのよさも知らずに通り過ぎていたはずの私なのだ。
自然の世界のワンクッションを味わう為に重曹を使ってるのかもしれない。

最近では、黄砂で実感した。
「黄砂」って、昔はアルカリ性の物質で、むしろ大地を浄化していたと聞いたことがある。(詳しくはwikiでも見てください!)
でも、今は中国や韓国などの工業地帯の大気中の物質をくっつけてくるから、それ自体危ないものに変化しつつあるようだ。
黄砂の降った日・・・・重曹をたっぷり溶かした湯船のお湯で丁寧に頭の先からホコリを流すと、ジャリジャリッとした感じがなくなっていく。
危険な化学物質は好きにはなれないので、石鹸を使い、丁寧に体の清掃を始める。
体から剥がれていった化学物質たちが、石鹸と重曹のダブルパンチで有害なまま川に流れていかない事を祈りながら、お湯を流す。
体がスッキリとしたところで、ようやく湯船に浸かる。
ゆっくりと手足を伸ばし、求めていた暖かさとお湯の感触を体で味わう贅沢さだ。
微量残った髪や肌の上の何かも、重曹が溶けたこのお湯に浸かっていると、浄化されていくような気がする。
本当にどうかは分からない。
でも、穏やかに、優しく、ゆっくりと、不必要なものだけそっと取り去ってくれるのだ・・・・。
だって、お風呂上りにタオルを当てると、肌や髪がすっかり良い状態に変わったのを感じるんだもの・・・・・。
いくらか体の中に取り込みもしたかもしれないけれど・・・少なくとも表面は取り払われた。それが大切なことなのだもの。
当面収まった黄砂・・・5月までは安堵できないとか・・。
車も洗おうかどうしようか悩むところだよ~。
ガラスだけ拭いて、ちょっと待って見ようっと!
完全に収まったら、こちらも重曹たちの出番。