講演会(2008.2.17)

祖母が行きたいと言う・・・・・

宇多津健康センター

昨日、東京から遅くに戻った私・・・疲れきっているし、しかも今日は地域の川の清掃の日・・・。
さすがに顔色が悪かったし、年末の地域清掃には私が出たので、相方が変わってくれると申出てくれた。
ありがとう・・・
もし、掃除をしてたら、とても祖母を連れて行ってあげる体力は残ってなかったと思うんだよね・・・

ま、そんなこんなで祖母念願のある人の講演会に行くことができるようになった。かなりなハードスケジュール・・・だけどね、強行突破!

祖母は、3年前、寝たきりになる寸前だった。
実際、リハビリをしなきゃ立てないほど弱ったのだ。
最初は、家でこけて、圧迫骨折をした。
入院をしたら、院内感染で感染症を起こして、嘔吐・下痢・高熱・・・・まったく立てなくなり、人が違ったように、家族の顔が分からなくなった。突然の痴呆症的な症状にこちらは戸惑うばかり・・・。
ようやっとフラフラではあるけれど、歩けるようになって帰宅・・・。
でも、家ではリハビリもせず、口癖は「もう、お迎えが来る・・・」と言う悲しいもの。

そんな時、それより前から私が実践していた自然療法を祖母に教えた。
「そんなものしたって、もう、お迎えが来るんだから・・」
と、まるきり話を聞いてはくれなかった。
でも、「何言ってるの?この『自然療法』を書いた先生はね、おばあちゃんと2歳しか違わないのよ、結核で死にかけた時自然療法に出会って、今は全国を飛び回っていらっしゃる人なのよ!」と言ったら、少し話を聞いてくれるようになった。
一番最初は「梅エキス」をプレゼントした。何冊かの本と一緒に・・・。
こんにゃく湿布のやり方を教えて、1度だけやってあげた。
よほど具合が良かったのか、それから、自分で湿布をしたり、砂袋を作ってあちこち痛む体の幹部に当てたりするようになった。
梅エキスも、1瓶飲んでしまって、今度はお金を払うから、3本ほど買ってきて欲しいと言う・・・・
そう、ここが重要なのだ・・・できることは自分ですること・・・・人任せにすると、自分の体でありながら、自分で按配が分からなくなるのだ。
そして、自分で考えて動くこと・・・・
自然療法は、病気を治すんじゃなくて、自分体の按配を整えてあげること、自分の体を、心を知ることなのだ。
生まれたときからフェイクに囲まれ、真実を見ることに慣れていない私たちは、その要領が最初は分からない。
でも、絶対にやる気があれば誰にでも見えるものなんだと思う。

杖を突き、家の中しか動けなかった祖母が、外に散歩に出られるようになった。
その頃から、もっと熱心に本を読み始めて、野草を摘んで干したり、それをお茶にして飲んだり、玄米や雑穀米を食べるようになった。
もともと、草木には詳しい人だったので、あんな雑草に薬効効果があったなんて・・・・と、驚きながら採集していたのだ。
数ヶ月前のやつれた祖母の顔が思い出せないくらい、元気そうになって、顔に血色が戻り、ほっぺたがピンク色になった。
気がついたら杖も使っていない・・・・
猛暑の夏でも、もしかしたら一番元気だったのは祖母かもしれない。
数ヶ月が経つ頃・・・お腹が痛いと病院に行く羽目になって、尿管結石だと診断された。
血便が出て、尿もたくさん出た。いわゆる、好転反応だと祖母も私も思ったけれど、念のため、病院へはちゃんと行ったのだ。
そして、入院してレントゲンを撮ったりエコーで見たりしたけれども、なんと、もう、石は無いと言う・・・・何度検査してもないので、何もせず退院・・・。
「これはすごいことだね・・・・病院の先生は信じないけれど、私の体が治っていくんだから、本物だね・・・」
と、祖母は言って、今もずっと自然療法の自分に当てはまるものを色々とやっている。しかも、楽しんで・・・

祖母が行きたがったわけは、その自然療法の著者の東城先生のだったから・・・・
あのまま、寝たきりになって、ボケてしまっていたら今の祖母はいないのだけど・・・見違えるように元気になった祖母。
私も一緒に聞きました。たくさんの為になるお話。
子育てや、食事のことで私はまだまだ反省点がたくさん浮き出してきた。
今後の課題だな・・・・・・
私の真後ろに小さなお子さんがいて、途中ご機嫌が悪くなったりして、ところどころ聞こえない事はあったけれど、それでも、とても満足。
82歳の東城先生は、すたすたと歩き、ひょいひょいと階段を登り、2時間平気でしゃべり、次の会場に行く時間が来てしまい、またさらりと去っていきました。
祖母は、話が聞けたこと、同年代の人がこんなに若々しく生きていることを目の当たりにして、帰り道、とても元気におしゃべりをしていた。
そう、実際の年と見た目年齢はその人の生き方で随分と変わってくるんだな、と、思う。
自分が82歳まで生きられるのか、仮に生きたとしてもあのように、誰かの為になる生き方が出来るのか疑問だけれど、目指す方向の一つ。
余分にもらった冊子を入院している友達にもあげるのだと、元気に微笑む祖母を見て、それも夢ではないな、と確信する。
明日からの生き方にまた「渇」を入れてもらった。
がんばらないけどしっかりやるぞ!と思った1日の締めくくり。
忙しくても、大変なことがあってもがんばれるそのわけは、こういうことなんだと思う。
お会いしたらあれもこれも聞きたいと思っていたのに、結局聞くことはなかった・・・・。
講演の中で、既に答えはあって、するりと糸がたくさん解けた。
だから、今回は謎はなし。
また機会があれば、聞く事を用意しておかなくっちゃ。
そのためにも、更に勉強と実践だね!よーし!ファイトー!!!!