古い写真の複写を前に、
しばし考え込んでいる。
百年以上前のスナップ。
この写真に写っている人は、もういない。
この写真を撮った人も、もういない。
ときおり本や雑誌で見かける、
事実上、バブリックドメインとして扱われているイメージだ。
被写体には、本人の死後何年までは、
子孫に肖像権の管理申し立てを保障する、
などといった法律上の決まりはない。
(礼儀や倣いといったものはあるけれど)
それに、この人に家族はない。
自由に使っていいのだ、ということが、
頭では理解できても、まだこわかった。
いや、使っていいからこそ、
こわかったのかもしれない。
かつて生き、この世に得難い花をもたらしたある人に、
あなたの姿をみなさんにお見せしたいのです、
そうしてよろしいですか、と問いたいのだった。
どうやって礼を尽くせばいいのだろう。
バカじゃないの、と言われるような問い。
早く早く。時間がないのですから。
天を仰いで目をつむる。
その人への礼に拘泥するなら、
その人をこの世にあらしめた天地にも礼を。
その人の後に生まれ、その後を紡いだ人々にも礼を。
つまりは、今ここでこの文脈に至るすべてに礼を。
画像転送の操作をしながら、
送られる1ビット1ビットが、
とっくに「是」と言っている気がした。
無数の是が集まり、濃淡の影を成す。
誰も礼などできやしないよ。
是の中で許される存在であることには、
あなたもかなたも、生きても死んでも、変わらない。
ただ感謝して遊べるあいだ、善く遊べよ、と。