豪雨、ときどき晴れ、そしてまた雨。
落ち着かない天気だ。
空を見上げては右往左往する。
パソコンを抱え、人間は濡れてもカバンは濡らさじと。
eriさん、Satoさんと打ち合わせ。
久しぶりなので案件山盛り。
冷房の効くポジションだったか、
外に出ると雨あがりの蒸し暑さがむしろ心地いい。
部分浴みたいに、むき出しの腕と足が解凍されていった。
温度と湿度のジェットコースター。
エアコンが作り出しているのは、
快と不快の傾斜角だ。
空気を全部引っかき回して、
定常のぬるい水平面を作るよりも、
そこに傾きがあれば、
刺激が、運動が生まれる。
しかしそれは自作自演の自己満足であって、
小さな空間で冷えたり温まったりして喜んでる間に、
外の大きな空間の気象は異常が通常になっていく。
今度はパソコンをかばうような具合にはいかないだろう。
カバンは外に出ており、私たちも外にいる。
外にはもうそれ以上の外がないので、
どこかで起こったことは、
必ず私たちの内に含まれる。
つまり一番外というのは、袋小路なのだ。
福は内、鬼も内。
冷気も排熱も、結局は、外なのに閉じている、
もはや行き場のないその空間に吹き溜まる。
ところで、
袋小路はcul-de-sac、袋の底ともいう。
丸い窓のある、ホビットの家の名(bag end)でもある。
トールキンの冒険譚は、
いつもそのbag endから始まる。
稀代の言語学者の精神に宿った、
壮大なイマジネーション世界にあやかれば、
あるいは傾斜角を付けながら、
どん詰まりを解消する方法があるかもしれない。
中つ国すなわち地球は、
始め水平だったが、
あるとき宇宙が変化して、
現在の丸い形に変わった(とされる)。
球体ならば、傾斜しながら元にもどる。
循環しながら刺激と運動を生み続ける。
ビルボやフロドがそうしたように、
中つ国をなぞるなら袋小路から出ていけるよ、と、
ときにあらゆる言葉の、象徴の力を借りて、
促されているように感じることがある。