3日間の成果(9/5)

コンニャク湿布を3日続けた。
茹でています・・・・・
そうすると、むくみはすっかり取れ、体が軽くなった。
さてさて、本当には何キロくらい太ったのかな・・?
と、思い、体重計にドン!

あ、思ったより、少ない増加(?)だった・・・。
どう考えても、5キロは太ったような気がしてたんだけど・・・(アゴの下の肉のつき具合といい、腰にまといつくスカートのような肉たちといい・・・・・(>_<))それよりは少なくて、何とかできる範囲の体重オーバーで良かった~。
また、数日休んで、湿布をするつもり・・・。
あまり同一のもので続けると、効果が薄れるらしい。
アロマの精油もそうだったもんね・・・。
習慣性や耐性は無いといわれているけれど、時々変えるほうがやっぱり効果は高い。

私のダイエットは、運動はほとんどしない。
だって、年をとったら出来ないダイエットは続けられないし、それじゃ年取るほど汚くなっちゃうって言うことになってしまわないか???(怖)
ゴハンもきちんと食べる。

死守するのは、10時以降の飲食は避けること。
そして、お風呂に出来れば2回入ること。(1回の時は念入りに・・・)
お風呂は、私のダイエットリングであり、瞑想ルームであり、読書部屋であり、リラックスルームでもある。
湯船に出たり入ったりを適度に繰り返しながら、下半身だけの日もあり、全身のときもあり・・・その日によって入浴法を決めて、楽しむ。
持って入るのは、アロマランプと読書の時は本、タオル数枚(本を触る時、いちいち拭かないと、本が濡れてしまうので・・・)、梅酢ドリンクか麦茶と岩塩。
湯船のお湯には岩塩と重曹を心持ち多めに入れる。
時々、のぼせない様に足と手を水で冷やしながら、入浴を続ける。
遅くなる時には、息子達をさっさとお風呂に入らせ、一度濁ったお湯を捨て、自分のために新たにお湯を張るという、贅沢なこともたまにはやる。
湯船のふちに座り、足浴も気持ちいいしね。
それでも汗はダラダラと出てくる。
自分の為の時間を設けると言うことの贅沢さは、出産して分かった。
ようやく、最近作れるようになった・・・自分だけの時間。
痩せるのは二の次・・・・ダイエットなんてかこつけて、実は浮遊したかっただけなんだな。
形にならないあれやこれや・・・本を読みながら、目頭を閉じながら、頭の中にだけ展開させる・・・。
その中から、「あ!」と思ったものをひょいと引っ張り上げると時々実現することがある。
他人を巻き込んだり、生活を変えるようなものだったり、ほんの些細なものだったり・・・でもどれも大切なもの・・・私にとっては。
そんな柔らかな、甘やかな時間を本当に、時々はとらないと、ギスギスしてしまう。
仕事も生活も、ふと気がつくと時間や用事で追いまくられ、生活のパーツの一つに、自分からなってしまうことがある。
自分の主は自分!と強く言い聞かせ、仕事や用事を(嫌々)させられているのではなく、(自分から)しているのだと、考えを軌道修正する。
大きな自然の一部ではあるけれど、動作を決めるのは命と体を与えられている私の役目。
普段は意識しないような考えが、脳を浮遊する。
何かが完成する時、結果が同じでも、そのプロセスがまったく違う時、産まれ出る何かは、世の中に必要とされたりされなかったりするのだろう・・と思う。
望まれて産まれてきたものは、例えばそれ自体が不完全であっても、次の何かに繋がったり、別のものを生み出したりする様な気がする。
人も同じなのかな・・・必要とされ、愛されて育った子供は次の世代もそうして繋げていくけれど、そうでない人間は、悪い種を植え付け、毒を撒き散らしながら生きていく・・・。
そうならないために、ストレスも、心の中の醜いものも、ほどほど自分でコントロールできるように収めるスペースを作らないと、自分自身が必要のない人間へと変化してしまうかもしれない。
そんな幻影のような、儚い考えさえ、書き留めることの出来るブログという道具に感謝。
道具は使うもの、使われてはいけないのだ、と、これも私の真理のひとつ。
私の体は自然から与えられた大いなる恵みのひとつ。
ありがたく、感謝してケアをする。
この体があるおかげで、耳や口や眼があるおかげで、どこへでも行けるし、脳があるおかげで色々と考えることが出来る。美味しいものも食べ、いい音楽を聴く。
いつこの体が費えてしまうのか、機能が充分働くなるのか、或いは、心と体が一緒でいられなくなる日が来るのかは私自身には分からないけれど、それまで、私に貸し与えられたもの。
この中にとりあえずは命を収め、その日が来るまで、生きて行く。
奇跡のようなたくさんの事柄の結果、今、こうしている。
願わくば、毒や悪ではなく、誰かの役に立ち、社会を組み立てる良きパーツでありながら、自然と対話できる人でありたいと思う。自分に合ったペースで、自分に合ったやり方で・・・。
嫌いな人、苦手な人、迷惑な人、信じられない人・・・様々いるけれど、それは私が思うことで、何か意味のある人たちなのかな。
天の采配は、私には計り知れない偉大なもので、嫌な出会いにさえ、何か意味を持たせたりすることもある。
全てが偶然ではなく、必然であることの意味を少しずつ理解できるようになるのも、自分の未熟さを恥じることを知るのも、そのほんの一部なんだろう。
まだまだ知らなくてはならないことがきっと盛りだくさん・・・・。
秋は夜長、そんなプチ哲学を時々ここに、また、書き込むやも知れませぬ・・・・。