痛い記憶(8/15)

終戦記念日に至るまで・・・8月は6日に広島、9日に長崎の原爆の投下という痛い歴史を刻んでいる、私の愛すべき国、(たくさんの死を抱えた)日本。
世界のどこを見渡してみても、武器としての「原子力」を、あえて人の生活している都市に落としたという話は聞かない。

私の恩師の一人に、被爆手帳を持ってる人がいた。
さばさばとした性格の、豪傑で、酒豪で、それでいて知性溢れる女性だった。

まだ、お腹の中にいたとき、母親が広島にいたということだった。
ふとしたことから出た、あまりな話に、詳しく聞くことはできずに、ゼミは別の教授に師事してもらうこととなり、とうとう聞かずじまいになってしまった。(今も元気にしておられるけどね!)
それ以後、語ることがなかったのは、話したくないことでもあったのではないかと思い、誰もが聞くことが出来なかった。
そのせいかどうか・・・私は8月の声を聞くと、そのことを思い出さずにはいられない。
こんなにそばに、戦争の傷を見ることに慣れていなかったから・・・・。

わたしのおじいちゃんも徴兵をされた一人だった。
優しくて、穏やかで、贅沢を嫌う人だった・・・死ぬまで、戦争のことは私に話してくれることがなかった。
一度、小さな頃、聞いたことがあったけど「聞かせることはなんもないけんなあ・・・」と、言われ、話をそらされた。
子供ながら、なにか、まずいことを聞いたことが分かって、そのときもそれ以上聞くことは出来なかった。

語らなくてはならなかったり、どうしても語ることが出来なかったり、そんなにも惨いことなのだ。
「戦争」するよりも「平和ボケ」と呼ばれても、しないことのほうを選ばなくてはいけないのだと思う。

ほんの62年前、日本はまだ、戦争をしていたのだ。