忙しいのは、今に始まったことじゃない。
以前は、自分がドン臭かったので、時間が無かった。
人が1時間でやれることが、自分は3時間もかかるような人間だった。
要領の悪い、不器用で、どうしようもない人だったので・・・・。
社会人になってもそれは続いていて、子供が生まれても、どうしても、上手く時間と折り合いがつけられなくて、落ち込む日々を過ごしていた・・・。
どうしても、と言う時は、自分の睡眠時間を削ったり、かなり、無茶を通していた。
誰かのせいで、時間を奪われると、憎しみに変わるほど(笑)に・・・・。
今は、ナチュクリのおかげで、かなり、快適に時間を使うことができるようになった。
でも、できるようになると、「あれも・これも」と詰め込んで、結局また、勝手に忙しくしている。でも、この忙しさは、心地いい。
なくなると寂しくなってしまう忙しさなのだ。
去年1年を通して、そう思う。
家族の病気で、「忙しさ」を奪われ、リズムを狂わされ、健康にもかなり被害が出てしまった・・・。
「~された」と、思っている忙しさは、ストレスしか溜めない忙しさで、心も体もヘトヘト・・・。
でも、数ヶ月で鍛えられ、その色々な事も、なぜだか、消化できて、今に至る・・・。
底辺にある、確実な生活と、揺ぎ無いリズムが、ブレていた私の生活を再びもとのリズムに戻してくれた。
今、雑事は増えたけど、苦痛ではない。
その雑事も丸ごと、受け止めて、やっぱりもとのリズムに戻っていく・・・。
自分で作る生活と、そうでない生活は、楽しさがダンチに違う。
やっと、家事を追う様になってきた。
もうすぐ、梅雨。
ナチュクリなくしては、活躍も危うい季節。
私は大丈夫、と言えるこの生活を、愛おしみながら、この梅雨の毎日を過ごす。