普通の会話の中の疑問(5/29)

最近、色々な人と話しながら、特に話題になるのが「携帯電話」の有無。
これは、依存症の人がいるくらい、とても扱いの難しいツールだけど、あると便利なのは言うまでもない。
依存症も何も、いまだにしょっちゅう家に忘れて行っちゃう私(はっきり言えば「携帯」できてませんので、ただの子機のようなもんですね・・・・・)です。
どうにもコイツに全てを頼ろうとはさらさら思ってやしません・・・・・。

数人のお母さん達からほぼ同じような話を聞いた。
子供が学校から帰ると、もう、ずっと携帯のメールをして困る・・・・・という話。
女の子のお母さん達からばかり聞く羽目になったのは偶然かな・・・?お宅はどうしてるの?
と、聞かれて戸惑う・・・・。
だって、子供の通う学校では、届出をしない限り、携帯の持込は禁止。
それに、うちはリビングに息子達のパソコンを並べていて、自分のパソコンがあるので、いろいろな意味であまり困らないみたいで、携帯を欲しがりもしない。
今のところ、あれば多少便利だろうな、とは思うけど、別段なければ困り果ててしまうこともなく、普通に過ごしている。

困ってるご家庭の話を聞いてると、ほぼ同じ・・・・宿題やご飯もそこそこに、自分の部屋にこもったりして、ひたすらメールし続けてるらしい・・・・月末に届く請求書を見てびっくり!という感じなんだそうだ・・・。

そんなに困ってるなら取り上げれば?
と、素直に言ってみたが、そんな事したら、仲間はずれにされてしまうのが恐くてできないんだそうだ。

メールしなきゃ友達じゃないってのがもう、私には分からないんだけどね。
直接会って話をしたり、お互いの姿を見ずして、親友って・・・・何・・・?
携帯電話一つ奪われたら破綻する友情って、それこそ本物じゃないんじゃないの?
と、続けても、相手はひたすら仲間はずれっていじめにも繋がるから恐くって・・・・・って所に話は戻ってしまう。
なので、面倒くさくて、3人目のお母さんくらいからは、適当に相槌をうっておくだけにした。

解決方法はいくらもあるけど、結局ステレオタイプの人たちは、ただ愚痴ってみたかっただけなんだな・・・多分。

あんな不安定なものに、気持ちや大切なものを託しきってしまうのはとても危険なことだと思うのに、そう言う所からは目をそむけて、子供にじゃかじゃか携帯を持たせる国ニッポン・・・。
例えば、イギリスでは、8歳以下の子供に持たせることを禁止していると聞いた。
理由は、脳腫瘍との因果関係があると疑われているので、その安全性が立証されるまではダメ!ということらしい・・・・だから、結局、社会人になるまで持つ人は少ないんだそうだ。
アメリカも、あんなに進んでる風なのに、携帯ってほとんど子供は持っていないそうで、むしろゲットーの子供たちが持ってるらしい・・・麻薬の売買をしたりにね・・・。
つまりは、先進国の中でもこんな異常な国、日本だけらしい。

モノだけ、未熟な子供に大人と同じものを与え、トラブルを自分達で引き起こすようにとてもがんばっている。
そりゃ犯罪にも巻き込まれれば、非行にも走るだろう。
持たせてれば何故か親はとても安心するらしい・・・。
持ってたって、実は全く安全ではなくて、GPSで居場所が分かったって、それがどうなの?
繁華街の真ん中でなくたって事件は起こるし、白昼堂々犯罪を犯す子もいる。
大人がこれだけ手助けしてあげれば、そりゃそうでしょう。
一斉メールでいじめを受ける子もいると聞いた。
ただの機械から発せられる活字は確かな重みと切れ味で心を傷つけることもあるんだな・・・・。

私にとってはただの便利な小銭入れであり、公衆電話であり、メモ帳であり、スケジュール帳である・・・・どこまで行っても道具でしかない。
嫌なメールが届き始めたら、早々にメルアドを変えてしまう。
友達にはあとでのんびり連絡をする。
大体、メルアドを変えたくらいで怒る友人などいないし、大切な人ほど、メールでなんかでやり取りしない。

でも、携帯を離せない彼女達とっては、友人であり、アドバイザーであり、パートナーであり、何より大切な仲間らしい。
血の通った仲間より、バーチャルのほうがそりゃ都合はいいけど、現実世界でそんなこと通用しないことなのに・・・。

息子の学校で、トラブルが少ないのは、こうした物の持つ本質と、与える時期を教師や保護者が一生懸命考えているからなんじゃないかと思う。
本当によく挨拶をする生徒たちばかりなんだよ。
ビックリするくらい・・・・今時・・・・。
大人は、子供を指導する責任があるということを、きちんと分かっているから、学校が提示することを守り、育てて、熟するのを待つ。
携帯を与えないんじゃなくて、与えるまでに充分にメリットとデメリット、危険性と利便性、そういった勉強をさせてから、と思っているだけなんだ。
「知識」を「知恵」に変えて使えるようになるまでには、実際時間がとてもかかる・・・・自分を見ていたってそうなんだから・・・・。
重曹を知って、人に教えてあげられるようになるまでに、どれほどの時間と他の人の手をとらせ、勉強したことか・・・・重曹でさえ、そうなんだから・・・・。

こういう話のとき、私はいつも旧約聖書を思い出す。
食べてはいけない禁断の木の実であるリンゴを食べてエデンを追われたアダムとイブの話・・・。
クリスチャンじゃないけれど、この話を思い出すのだ・・・。
あのリンゴ、神様はきっとアダムとイブが成長した暁には食べさせたんじゃないかと思うのだ。
で、なければ、エデンに植えたりしないと思う。
あえて「食べてはいけないよ」と言った言葉の中に「今はまだ・・・」と言う意味を含んでいはしないか?

現代になって、リンゴは携帯に形を変え、若者達は翻弄されている・・・。
実際にそういうことがキッカケで、援助交際をしてしまったり、いじめにあってすっかり引きこもりになってしまった人は一人や二人じゃないはずだ・・・・。
今でなくていいものは、後でもいいんだよ、そんなことを言ってあげる大人がもっといさえすれば、これほど深刻じゃなかったかもしれないね。

エデンを追われても、行くべき場所はたくさんあるよ。
ここは聖書の中じゃなく、地球の上だから・・・・必ず見つかるから、きっときっとたどり着いてね。
たくさんのアダムとイブ達・・・・。

心を託すものを間違えないでね。
手に握った小さな機械は、水にどぼんと浸けるだけですっかり壊れてしまうようなそんな程度のものなんだから。
でも、友情ってね、例えば、風邪で寝込んでたら、駆けつけてきてくれたり、仕事でキリキリなってたら、ふと、カード付きで紅茶を贈ってくれたりする・・・・その人の置かれている状況に合わせて、心遣いをしてくれたり、こちらもなにか相手にあったら、放っては置けなくて、離れてても、なにかしてあげたいけど、どうすればいいかな?なんて一生懸命考えてあげたりすること・・・だったりする。
それはお金やメールじゃなく、ダイレクトに流れ込んでくる暖かいもの。
心が通ったとき、初めて流れ込んでくる暖かな感じ・・・。
それは、きっと長い時間或いは、深い付き合いの中でその誰かと費やした結果生まれた確かな関係のこと。
文字のパワーはすごいけれど、それだけでは育たないものもある。
例えて言うなら、植物も、太陽だけでも、水だけでも、土だけでも育たないのと同じように・・・。
片手落ちの関係はあまりに危うい。

いろんな切り口から、子供にまだまだ知らさなくてはならないことがたくさんあるでしょう?

親業は、手を抜けないな・・・しばらくね・・・・そんなことを考えた1週間だった・・・。