野菜を干す(5/12)

右下が、既に3日干したもの。カリカリになってます!

以前はちょくちょく・・・・結構な割合で野菜を冷蔵庫で腐らせてました。
最近、まったく野菜を腐らせてません。
何故って?
なんもかんも干すんやーーー!!!干すんやでーーーー!!!

と言うわけで、とかく雨の降らない讃岐地方では、干し野菜を作るには絶好の地理的条件なのでありました!
今日干しているのは、きのこ色々・・・。

ぶなぴーにブナシメジ、そしてまいたけの3種類。

干すと、とてもいい出汁が出るようになると、あるマクロビレストランのシェフさんに教わったから・・・。実際に、干し野菜に関する本を図書館で借りてきて読むと、干せない野菜はほとんどない!

今まで干してみたものは、スーパーで売ってるきのこ類はほとんど全部。エリンギは意外なほど美味しかった。
大根やにんじん、ゴボウにかぼちゃ・・・・。
売ってもいる、トマト(ドライトマトは旨いよね~)も、ピーマンやナスも・・・。
なんと、葉物も大丈夫で、ねぎにほうれん草、白菜に小松菜・・・等など、どれも大丈夫でした。
葉物は多少色見は悪くなるけど(なんとなく「♪枯葉よ~」な状態に・・・少し物悲しい出で立ちになってしまうのですが・・・・・)、スープなんかに入れるとフレッシュとは違う味が楽しめます。

そのシェフさんおっしゃるには~普通のスーパーに置いてある野菜は少しコクが足りない~
うんうん、確かに。
普段レストランで使っているこだわりの有機野菜は、本当の旬を待って届けられるけど、スーパーのはそうでないものが多いものね・・・。
路地物が出る前に、ハウスものが場所を占める・・・・。
私は母が作ってくれたものも口にしていたので、ピーマンやにんじんなんかもとても香りが薄いと感じていました・・・常々・・・。
水っぽいと言うか・・・香りが少ないし味も薄い・・・・。
だから、干すと、余分な水分はとび、太陽の力でうまみ成分が合成され、しかも長期保存ができるようになる。
マクロビ風だと「陰」の野菜も「陽」に近づく・・・。

果物も当然いけるらしいんだけど、まだりんごしか試していません。
こちらは、試す前になくなっちゃうことが多くて・・・。

干し野菜にすることの利点は、とにかく無駄が出ないということ。
切れっ端でも、忘れず干しておくと、いつでも使える乾物に早変わり!

特に、きのこ類はいいよ、と教わっていたその訳は、すぐに納得!
スープのブイヨンがいらないんです。
しいたけと同じ!ダシが出るので、塩・胡椒で充分美味しいスープが頂けます!
カラカラにならなくても、ほんのちょっと干しただけでも、うまみ成分は相当出るみたいで、びっくりするくらい濃厚になります。
具にもなり、ブイヨンにもなる干しきのこは、便利なアイテムです。
お砂糖でも入れたの?って聞かれるくらい、甘い!甘いのです!
でも、砂糖とは違う、深い味わいは、まるで名(迷?)シェフにでもなった気分です。
ほめてもらっても、私の力ではないのよ・・・・お日様と素材のもともと持っているパワーそのもの・・・・。
私はまたまた、そういうことを教えてもらって、生活に織り込んでいって、そして楽しく美味しく毎日を過ごせています。
今度は何を干そうかと、冷蔵庫前で思案中。
そういえば、もう、何年も【味○素】も【かつお風味のほん○し】も使っていません。
始めた頃は、少し物足りなかった天然のダシも次々と進化を遂げて、だいぶ上手にとれるようになってきた。
当初はマジで下手!!水と味噌?水と塩?ってくらい、甘みを出せなかった・・・。
なぜこっちは水から入れなきゃならないのか、そっちは沸騰してから入れなきゃならないのか、はたまたあっちは前日から水に漬けておかなくてはならないのか、素材を知らずに、ぞんざいに扱いすぎていた・・・。
一つ一つ、その理由と素材の持っている成分の特性を理解して、それからだ・・・・何とか上手く扱えるようになったのは・・・。
最近は子供達も、外食をすると、天然ではないダシのものは、美味しいと感じなくなってきて、ようやく舌がリセットされてきたみたいです。

こんな風に、ナチュラルライフっていうものは、緊張せず、自然がくれたものを、先人の知恵に従って使えばいいだけ・・・・ということに気付くのに、随分と時間がかかった・・・・それ程に、がちがちに固まって、世間の言うがままに流されていた自分を振り返る。

現代のエスプリも織り交ぜて、楽しく暮らすことは、なるほど、お金がものすごくかかるわけでもなくて、めちゃくちゃ難しく考えることでもなくて、肩の力を抜いて、真実に耳を傾けることから始まる・・・。
雑音が多すぎて、真実の声は最初、とても小さくて、なかなか聞き取れないけど、一度耳に入ってくるようになると、もう、聞き間違えることはない。
自然の中で聞く風や水の音や鳥の鳴き声と、テレビから聞こえてくる音とは微妙に違うことに気付くのと同じように・・・・・。
いずれ、心で聞くことができるようになってくるから。

私達は、まだまだ自然からこんなにもたくさんの恵みを受けている・・・地球には嫌われてないと感じる。
気付くか気付かないか・・・・違いはただその一枚のハードルだけなんだと、いい香りが立ち込める干しきのこの傍で、考えている。
自然からのプレゼントは、本当は誰にも均等に、サンタクロースと違って分け隔てなく配分されているけれど、気付いた人だけが受け取れる、とても不思議な贈り物だと思う。

どうせ誰にも愛されていない、必要とされていない、と考えることもあるけれど、たとえ、そう感じていても、私達は皆、等しく生かされているからこそ、考えを巡らすこともできるのだ。
死に急ぐことなかれ・・・自然はちゃんと「死」さえも産まれ出たその瞬間に等しく用意してくれている。
DNAに刻まれた寿命と言う時間を、まっとうしてこそ、きっと本当に「死」を受け入れることができるんではないだろうか。
「生きる」ことと「生かされている」ことは、リンクしながらもほんの少し意味合いが違う。
自然が「生かして」くれているうちに「生きる」ことの意味を、考え、それぞれが自分にできる事、やらなくてはならない事、見つけることも仕事かもしれない。
人の社会は動物のそれとは違うけれど、自然は行うことに無駄がない。
そんな自然に創られた私達は、「人間社会」というオブラートにくるまれながらも、自然の一部であり続ける。
今はまだ、幼くて、自分達のわがままで母なる地球をひどく痛めつけたりする私達だけど、きっとそうではない日もやってくると思う。
マクロビとか、癒しとか、ナチュラルライフ・・・そんな言葉が珍しくなくなってきた昨今・・・たくさんの人が気付き始めている・・・。
気付き始めた人からそっとはじめるだけで、何もしなかった過去より、ずっと良くなる。
まだまだ、間違いも失敗も、余計なこともやってしまいそうな人類だけど、悪いほうにばかりはいかない。
もう、たくさん気付いている人が増えてきているから・・・。
そして、その数は決して減らない・・・・。
人はまだ、進化の途中なのだから。