子供のピアノの先生のところでの「お楽しみ会」に来ていた年上のお兄ちゃんと、そのお母さんから、地元の中学の荒廃した様子を伺った・・・。
卒業式も、卒業式は全員(自転車通学の人が多いので、それに何かをされることがあるかもしれないので)父兄と車で登校する様に指示をされたという・・・。
一生に一度の、卒業式というハレの舞台を、在校生に踏みにじられるというのは、どんな気持ちなのだろうか?
3年生は随分多くが、卒業の感動とは違う涙を流したという・・・。
その中学は、私の母校でもあるから、とても悲しかった。
「この4月から、当分、荒れると思う・・・・・」
次に3年生になる学年が特にひどいのだと言う・・・。
教師の車に傷をつけたり、壊したり、は日常茶飯事。
同じ生徒の自転車にもひどいことをする。
窓から椅子や机を落としたこともあったらしい。
もはや、いじめというくくりではなく、不特定多数に向けられた暴力が横行して、大変な状況だという。
リアルタイムで見ていた、子供の心はどんなだったろう・・・・・。
悲しそうに語る、彼とお母さんの姿があった。
そうだ、彼にとっても大切な母校なのに、そんな事されて、一番悲しい人たちの中の一人なのだ。
そして、彼の弟はまだ、その中学にいるのだもの・・・。
親としたら、たまらないだろう。
しかも、できのいい、自慢の息子であり、弟で、とても家族に愛されている次男だということを、私は良く知っている。
幸せそうな一家にさえ影を落とす学校に成り果てていることが、たまらない。
そんなことまで予測して、子供を別の中学に入れたわけではないけど、我が子にとっては、正しい選択だったのだろう・・・・人一倍デリケートな神経の子が、そんな中でやれるわけないのだもの・・・・。
今も、その学校には、息子と同じくらいデリケートな子がいるんじゃないだろうか?
毎日神経をすり減らして、学校に通ったりしてるんじゃないだろうか?
自分を壊してしまいはしないか、辛さを吐き出す場所はあるのか・・・・?
私が息子と味わったような悲しさやみじめさを、誰にも味わって欲しくない、と切に思う。
既に、知人のお嬢さんは執拗ないじめにあって、あわや登校拒否になるところだった・・・という話を聞いたところでもあった・・・本人から・・・。
ただ、親として、知人は強く学校に意見し、そのクラスの子供たちの前で臆することなく話をし、いじめた側の保護者とも話し合って、何とか納めたということだった・・・。
だからと言って、傷が消えるわけではないのだ。
表面的になくなっても、いつ、再燃するか、次はどんな形で出るのか・・・そんな恐怖とも、まだまだ戦っていかなくてはならない。
疲れ果てた2人の姿が見える。
2人の心の傷が、春休み中に少しでも癒えることを、ささやかながら、望んでいる。それにしても、考えられない変貌ぶりだ・・・。
田舎の、あまりにものんびりとした中学だったというのに・・・。
武装しないと学校にも行けないような状況で、授業も妨害されて、教育を受ける権利さえ保障されないこともある・・・・。
才能や能力のある人間もたくさんいると思うのに、それでは伸ばすことができない。
何かが間違ったまま進んでいっている・・・・。
どこで何が間違ったのか、誰も分からないから、直しようがないまま、ただ時間が過ぎている・・・。
私の周囲にも、間違った人とその子供がいたから、意見もしたし、アドバイスもしてみた。
でも、そんなことじゃ、直ったりはしない。
行くとこまで行かないと直らない、なんて無責任なことを言う人もいる。
行くとこまで行くまでに、どれほどの人間に迷惑をかけ、傷つけるのか考えてもみて欲しい。
自分の子供や、自分自身かもしれないのだ、巻き込まれるターゲットは・・・・。
でも、考えても、解決する手段は浮かんでこない。
個人でやれることなんて知れてるということかな。
自分の子供が逃れられたから、これで大丈夫、なんて気楽に考えられればいいけど、やっぱりそれはできない・・・・。
対岸の火事、とは思えないのだ。
今は何も思い浮かばなくても、考えることはやめない。
「人間は考える葦である」
たかが、葦と同じレベルの生き物でしかないけれど、考えることだけはできる。
それを放棄してしまったら、本当に解決する日は来ないんじゃないかと思うから・・・。
息子が・・・例えイヤイヤでも6年間机を並べたクラスメイトの中から、犯罪者など出ては欲しくない。
今は見えなくても、やめなければ、もしかしたら何か浮かぶかもしれないから・・・。
誰かが考えたことに協力できるかもしれないから・・・。
そんな人が増えれば、よくなっていくと思うのです。
バラバラに考えてること、そんなことが少しはまとまってくる日があると・・・・。
重曹生活だって、そうだったように・・・・。
集まれば、正しいことのほうが強い、と考えるのは間違いでしょうか?
荒れている子供たちは、大人の・・・社会のせいだというなら、社会を良くする事は大人がしなくちゃいけないことなのでしょうね。
さて、本当に何ができるか、少しの時間でも考える癖をつけるようにしよう。